2019年05月25日(土曜日)
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【マリの喫茶室(33)】  ―信じられないレイプ無罪判決―

今年の3月26日、名古屋地裁岡崎支部で信じられない判決がでた。
19歳だった実の娘への2件の準強制性交罪に問われた男に対し、「娘の同意は存在せず、極めて受けいれがたい性的虐待に当たる」としつつも、「抗拒不能だったとはいえない」として、無罪判決を出したのだ。
しかも、この男、実の娘を中学生の頃からレイプし続けていた。にもかかわらず、「抵抗できないとはいえない」というこの判決、まるでレイプ犯の言い訳を裁判官が代弁しているようで、常識では考えられない。
 
実の娘が父親からのレイプを受け入れることはありえない。精神的に支配されていたから抵抗的できなかった。身体を縛るなど物理的な支配ではなくても、精神的に支配されて言うなりになるしかないことはある。
 
児童虐待の概念も、かつてはケガをさせるなどの身体的虐待だけであったが、今は、精神的虐待へと概念が広がっている。心の傷は身体の傷と同じくらい、子どもの心と身体をむしばむからである。この裁判官、心の傷への想像力があまりにも欠如していないか。
中でも、性的虐待は心と身体をずたずたに切り裂く魂の殺人である。それを繰り返されてきた子どもが、明日も生き延びていくために、その事実をなかったこととして、やりすごそうとすることがよくあるという。それに乗じて鬼畜の親がまた繰り返す。
 
しかし、この女の子は勇気を絞って、ついに、鬼畜の父親を告訴したのだ。しかし、告訴の後には警察や検察からの根掘り葉掘りの事情聴取がある。
 
私事であるが、前に行政の福祉部署に行った時に、「全部話してくれないと支援はできない。」と言われ、言いたくないことを無理やり言わされたことがある。それは単に担当者の好奇心だったのだと思う。「支援をするために必要最低限のことはお聞きします。」ではないのである。「知らなければ支援できない。」そんな上から目線の傲慢な言葉が今でも私の心に刺さっている。
 
きっと、警察からも、検察からも、微に入り細に入り、詳細を具体的に聞かれ、さぞ嫌な思いをしただろうと思う。性的虐待の調査は二次被害だとも言われている。最近は女性警察官が事情聴取をするなど配慮しているとはいわれているが、それでも、思い出したくない過去を、言いたくない事実を聞かれ、どんなに辛かっただろうし、恥ずかしかっただろうと思う。
 
それでも、裁判で実父を有罪にするために、実父に罪を償ってもらうために、勇気をもって女の子は話したのだろう。
にもかかわらず、この裁判官、「抵抗でなかったわけではない」とうそぶいて、あろうことがこの鬼畜の実父を無罪にしてしまった。勇気をもって告発した女の子の絶望はいかばかりか。裁判官がとどめを刺さしたようなものである。ある意味、実父より罪が重いと私は思う。
 
裁判は公開で行われる、このような性裁判においても、である。今は被害者は証人として呼ばれても衝立が用意されるなど、直接顔をさらさなくなったというが、それでも公開の場で自分のレイプ裁判が行われる苦痛は想像を絶するものがあると思う。プライバシーが公開されてしまう懸念もある。
 
しかも、今は、定年退職後の暇なおじさんたちが、定期券を買って裁判所に毎日やってきて傍聴している時代である。特に性裁判は人気が高いとか。残酷な老人たちのすけべな好奇心を満たしているだけである。
 
前に紹介した老人ホームを舞台にしたテレビドラマ「やすらぎの郷」(倉本聰脚本)でもレイプ被害の二次被害が、こともなげに描かれていた。老人ホーム「やすらぎの郷」のバーテンダーの女の子(松岡茉優)が職場の帰りに複数の男から突然レイプされた。彼女はレイプを恥じ、警察にも言わないでほしいと頼み、職場に箝口令(かんこうれい)が敷かれた。にもかかわらず、1週間もたたないうちに、老人ホームの全員が「彼女が地元の暴走族にまわされた」と話している。そして、事故後しばらく休暇をとっていた彼女がバーテンダーとして職場に戻って来た最初の日は、いつもより多くの老人が彼女を見に店にやってきた。倉本聡さんの脚本では二次被害の辛さがほとんど描かれていなかったが、老人の残酷さだけはよく出ていた。
 
日本の裁判は本当におかしい。
そもそも性犯罪の裁判は関係者以外には非公開にすべき。
地裁の恣意的かつ常識外れの判決を防ぐには、裁判官への常識教育(人権教育など)に加え、裁判を合議制にすべきだと思う。ちなみに今回の裁判官、「疑わしきは被告人の利益とする」が口癖で、過去に何度も無罪判決を出して有名だそう。冤罪の可能性があるのなら当然であるが、このケースはそうではない。レイプはあったのは事実、それに被害者が抵抗できたかどうか、だけなのだ。
 
この事件では、検察側がさすがに控訴した。高裁ではまっとうな判決になるだろうと信じたいが、それまでの間、女の子の苦しみは続くのである。失った時間は戻らないし、心の傷は地裁判決でさらに深くなったに違いない。
もう、地裁の偏向判決はたくさんだ。今の裁判官一人の独任制を改め、地裁でも原則合議制の裁判とすべきだ思いませんか。
 

(東京ドイツ村イルミネーション)