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【論説・コラム】自分を神だと勘違いした瞬間に人は堕ちる

※イメージ画像

人の性格というのは十人十色で、人生経験を重ねるほどに自らの審美眼が正確ではないと自覚させられることが多い。

個別授業で高校生を指導していると、最初の授業で「この子はやり易そうだな」「なんかリズムが違うな」と、これまでの経験値から肌感覚で認知される親和性や違和感がある。

半分かそれ以上は、当たっていることも多く、その後の授業の進め方の参考にもなるのだが、3割か4割程度は、最初の印象とはまるで異なる本質に気付かされる瞬間がある。思っていた以上に努力家であったり友好的であったりする好印象への変化タイプもあれば、当初の親しみやすさを裏切る不真面目さや嫌悪感を憶えずにいられなくなる闇落ちタイプもある。

自分が高校生だったら、と想像すると、なるほど印象が変わるタイプに自分も入るかもしれないと思い当たるフシがある。人見知りをするタイプで、初めて出会う人間への好感度を上げようと朗らかで快活な自分を演じ、慣れる度合いに応じて緊張感がほぐれ自然と本性が露呈していくパターンである。逆に陰から陽へとイメージが変わるタイプは、人見知りの警戒モードを解かずに距離を置いているが、次第に慣れていくと人柄の良さが自然とこちらにも伝わるというパターンである。

そうはいっても、1時間の授業の中である程度はその人の本質が見えてくる。スーパーで買い物をした際に、レジ打ちの店員が商品をどのように扱い、作業の迅速化と顧客への気配りを両立させているかの一挙手一投足を数十秒見ていれば、店員ごとの能力差を判断できることと近い。今そこにある課題を脊髄反射で処理できる地頭の良さとでもいうのだろうか。

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