araki「拉致問題の闇を切る」

決断 荒木和博(特定失踪者調査会代表)


「その子が北朝鮮の東北端に近い清津の郊外にいることが分かった。すでに間接的にだが連絡もついていて本人に帰国する意思もあることもほぼ分かっている」

 長野の顔色が変わった。
「外務省は交渉しているのか」

「いや、北朝鮮の中は混乱していてとても返すなんて交渉ができる状況じゃない。向こうのトップだっていつどうなるか分からんのだ」

「だったらどうしようもないじゃないか」と言いかけて長野は生唾を飲み込んだ。

 宗方はグラスのビールを飲み干して言った。
「自衛隊で取り返す」

「お前正気か、今の日本がどういう国か、一番分かってるのがお前じゃないのか。それにうちはまだ憲法改正も時間をかけて議論すべきという立場だ。俺よりずっと左巻きの連中も少なくない。そりゃ拉致されてる国民を無視しろとは言わんが、そもそも自衛隊を北朝鮮に送るって、憲法をどうやってクリアするんだ」

「憲法は変えん」

「…」

「芦田修正で解釈を変える。これなら閣議決定で済む」

 


 宣伝ですみません。8月15日から発売されている私の小説『「希望」作戦、発動 北朝鮮拉致被害者を救出せよ』(晩聲社・オンデマンドと電子書籍で出版)の一節です。長野は野党第1党、社会国民党の代表、宗方は総理大臣。もちろん、全く架空の人物です。

 この「やまと新聞」には三浦小太郎さんが素晴らしい書評を書いて下さいました。

https://www.yamatopress.com/archives/36660

 

 特に拙著前半部分についての評は著者冥利に尽きるものでした。ぜひお読みいただきたいのですが、ここでは後半部分について書いておきます。後半は拉致被害者救出への政治の決断がテーマです。

 

 アフガニスタンに邦人救出に自衛隊機が向かったのを見て、「北朝鮮にも行ければ良いのに」と思った方も少なくなかったと思います。この原稿を書いている8月30日時点ではまだ法律の制約で自衛隊は十分な活動ができていないようですが、何かのショックが加わればおそらくクリアしてしまうでしょう。もちろん、そのショックというのは起きてもらいたくないことが起きるということです。

 本書の最後のところ、「解説に代えて」でも書いたのですが、何年か前、自民党のある県連の青年部が主催したシンポジウムに参加しました。テーマは拉致被害者救出と自衛隊。私が基調講演をして、その後シンポジウムがあったのですが、ここにパネラーとして参加していたある国会議員は拉致被害者救出に自衛隊を使うことに極めて否定的でした。自衛隊法の制約について滔滔と語り、解釈での対応は「立法意志」があるのでできないと言っていました。

 拉致被害者全員を(生存者に限っても)外交交渉だけで取り返せないことは誰にでも分かります。かといって法律を変えるために努力するという発言があったわけでもなかったのです。この議員の発言はつまり「拉致されたら見捨てるべきである」ということです。そしてそれはこの議員のみならず、おそらく大多数の国会議員が同様の認識だろうと思います(それに気付いている人は僅かでしょう)。

 

 こうやって日本の戦後は続いてきました。米国に従っていれば、品悪く言えば米国の靴の裏を舐め続けていれば何も手を汚さなくても汚れ仕事を米国がやってくれて、日本は平和国家の顔がしていられるという醜い姿がわが国のの戦後であり、今65歳の私など、その醜さの恩恵にどっぷりとつかって来たと言えます。

 心ある国会議員の皆さんにはこれを変える努力をしてもらわなければなりません。しかし、それだけでは間に合いません。個々人が自分の判断で、自分の持ち場で何ができるか、何をすべきか考えて、できることをやっていくときではないでしょうか。

 コロナウイルスに振り回されたこの1年半余、私たちはあらためてこれまで常識だと思っていたことが決してそうではなかったと思い知らされてきました。今でもどうすれば良いのかについて結論は出ていません。世界各国を見ていてもうまくいったと見られていた国が再度困難に陥ることが起きています。それはある意味天の与えた試練ということなのかもしれません。だとすればそのとき必要なのは平時のための法律より、激動期における決断であるはずです。

 

 宗方総理と長野代表というのは何人かのモデルを融合させたような存在ですが、この二人の会話の部分は設定した二人が何を話すか、著者である私が聞いていてそれを書いたような感じでした。やがて必ず、日本には彼らのような決断をする政治家が出てくれるものと信じています。