歴代天皇の詔勅謹解 第六回「初代神武天皇、第十代崇神天皇の詔」御所市議会議員 杉本延博

 今回は、初代神武天皇(橿原建国以降の詔勅)、第十代崇神天皇の詔勅を謹解してまいります。

 

初代神武天皇

橿原建都の令―八紘爲宇の詔(謹抄) 己未年三月七日『日本書紀』

 夫れ大人の制度を立つ。義必ず時に随ふ。苟くも民に利有らば、何ぞ聖造に妨はむ。且當に山林を披き拂ひ、宮室を經營りて、恭みて寶位に臨み、以て元元を鎭むべし。上は則ち乾靈の國を授けたまふ徳に答へ、下は則ち皇孫正を養ひたまふ心を弘めむ。然して後に六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩ひて宇と爲むこと、亦可からずや。夫の畝傍山の東南橿原の地を観れば、蓋し國の墺區か。治るべし。

 大和国の中心である橿原の地に都を定めて仰せになられた建国宣言の詔であります。

 詔(謹抄)の大意は「そもそも大人(聖人)が国の制度を定めるに当っては、その道理は必ず時勢に適するようになされた。少しでも民の利益になることであるならば、それは決して祖宗の立てさせられた聖業に悖ることはないのである。そこで今、山林を伐り拓いて、宮殿を造営し、謹んで皇位に即き、民を安んじなければならない。上は天つ神がこの国をお授け下さった御徳に答え奉り、下は皇孫の正義を養い給うた大御心を弘めよう。その後に、四方の国を統一して都を開き、天の下を掩いて家とすることは、じつに良いことではないか。見ればかの畝傍山の東南の橿原の地は、思うに国の中心であろう。ここに都を造るべきである。」であります。

 以下、「橿原建都の令」から三つの要点を記してまいります。

 一つ目は、「義必ず時に随ふ。苟くも民に利あらば」。世情に応じて、国民の利益と福祉が向上するように制度や法律を定めるよう仰せになられています。

 二つ目は、「元元(おほみたから)」。全ての国民のことを大御宝と仰せになられています。我が国の御父としての慈しみ深い大御心が現れています。

 三つめは、「六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩ひて宇と爲むこと」。世界が一つの家族のように共存共栄できる平安な御代を構築することが、八紘為宇の理念であります。世界平和に連なる理想的精神が二千年以上も前に仰せになられていました。

 

天神を祀り大孝を申べ給ふの詔 四年二月廿三日『日本書紀』 

 我が皇祖の靈、天より降鑒りて、朕が躬を光助けたまへり。今諸の虜巳に平き、海内に事無し。以て天神を郊祀りて、大孝を申べむ。 

 鳥見山中(奈良県桜井市)に霊畤をおたてになり、神々への報本反始の誠を奉告なされるにあたっての祭祀の御心を仰せになられた詔であります。

 詔の大意は「我が皇祖の御霊は、天から御降りになられて、我が身を御加護下さった。今や賊徒は滅びて、国内は平穏無事となった。そこで天神をお祭りして、感謝の御礼を申し上げるとともに、孝道をつくしていきたい。」であります。

 大嘗祭の始まりともいわれており、祭政一致たる我が国柄の根源をお示しになられています。

 

國土讚美の詔 一年四月一日『日本書紀』

 姸哉、國之獲つ。内木綿の眞國と雖も、猶蜻蛉のとなめせるが如し。

 神武天皇が、ほほ間の丘(奈良県御所市)で国見をなされたときの詔であります。

 国見は、今で言う民情の視察であるとともに、その年の豊作を祈る神事の一面をもっています。

 詔の大意は「何とすばらしい国であらう。狭い国ではあるが山々が四方に連なるさまは、あたかも雌雄の蜻蛉が互いに尾をくわえ合い輪になって飛んでいるようだ。」であります。

 この詔から「秋津洲」の国号が誕生しました。

 

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