2019年08月17日(土曜日)
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【論説】戦争犠牲者の上に築かれた今の平和社会

 

長崎市の平和祈念像

74回目の終戦記念日が8月15日に訪れる。太平洋戦争を振り返るとき、「なぜ日本は勝てないと分かっている戦いに踏み切ってしまったのか」と思わずにいられない。

 

直接の引き金は1941年12月8日の真珠湾攻撃であるが、そこに至る決定的な流れをもたらしてしまったのは、1937年7月7日の盧溝橋事件から始まる泥沼の日中戦争である。当初は散発的だった銃撃戦が、中華民国の徹底抗戦に応じる間に中国各地で衝突が発生し、後戻りのできない戦争状態に突入する。

 

中国への進出が遅れていた米国は日本を強くけん制し、中国政府に軍事物資と訓練教官の派遣などを行い側面支援した。日本も米国からの石油調達によって戦争を継続していたものの、1940年の北部仏印に続き、1941年7月の南部仏印進駐で日米関係は決定的に悪化した。ここが、太平洋戦争への回帰不能点と評価されている。

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