2018年12月16日(日曜日)
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【論説】あおり運転の悪質性と量刑は釣り合うのか

※イメージ画像

 
悪質な行為を犯罪として処罰するために法令で刑罰を予め規定しておく。私たちの平穏な日常は、この罪刑法定主義の恩恵を受けて秩序が保たれている。
 
しかし、ときに罪刑法定主義が犯罪者の味方になっているように感じることがある。無力感に苛まれるような犯罪を見聞し、法が現状に追いついていないのではないか、法治主義が本当に正義といえるのかと、疑問が生じたときである。
 
12月3日、横浜地裁で行われた初公判。神奈川県の東名高速で2017年6月、あおり運転を受けた末に夫婦が死亡した事故で、危険運転致死傷などの罪に問われた石橋和歩被告(26)は、あおり運転は認めたものの、危険運転致死傷罪などは否認して争う姿勢を見せた。
 
犯行は極めて悪質である。2017年6月、大井町の東名高速下り線で、萩山嘉久さん(当時45)など家族4人が乗るワゴン車に、石橋被告はあおり運転を繰り返した挙句、ワゴン車の前で急減速して進路をふさいで停車させ、萩山さんを外に引っ張り出した直後にトラックが突っ込んだ。萩山さんは、心配になって外に出た妻の友香さん(当時39)と共に死亡、娘2人もけがを負った。
 
争いの発端は、手前のパーキングエリアで出口をふさぐように止まっていた石橋被告を萩山さんが注意したことにある。石橋被告は逮捕後も、反省の態度を見せる様子はなく、法廷でも黒いジャージー姿で出廷し、事件に正面から向き合う様子もなかったという。
 
犯罪の性質は異なるものの、態様の悪質さや遺族の計り知れない慟哭という点で、光市母子殺害事件を思い出す。あの事件でも、少年法の扱いや量刑相場などの観点から大きな社会問題となった。被告は1、2審で無期懲役となり、遺族の本村洋さんが「犯人が社会復帰したら、私がこの手で殺す」と絶望の深さを滲ませた。最高裁で死刑判決が確定し、犯行の凶悪さと量刑がようやく釣り合ったように思えて、同じ国民として僅かな安堵を覚えた。
 
今回、検察側が訴えている危険運転致死傷罪と監禁致死傷罪は、最高刑が共に懲役20年。弁護側は双方とも構成要件に該当しないとして争う姿勢を見せている。検察側がたとえ最高刑を求刑し、訴えが全面的に認められたとしても7-8掛けの量刑相場から判断すれば、懲役15年前後である。
 
現場に居合わせ、両親を奪われ自らもけがを負った長女(17)は、石橋被告に「もう二度とこんなことをしないで」と法廷で伝えたいと言う。あおり運転と言い掛かりで高速道路に立たされた両親が目の前でトラックにはねられて亡くなる。想像を絶する喪失感の中で、何という寛大さだろう。
 
今の法体系がこの犯罪に見合っているのだろうか。私たちが感じる「許せない」という思いをきちんと罪刑に表出させるために、法は常に改正されて漏れがないようにしなければならない。そのために、立法府である国会の役割、ひいては国会議員は重い負託を受けている。
 
イメージアップの外見や政局のときだけ声を上げる人物を思い出しつつ、そんな自覚のある国会議員はどれだけいるのだろうかと想像し、誰もが納得できる法体系に近づける不断の努力が欠かせないのだと痛感する。