2018年10月19日(金曜日)
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【論説】なぜ日本人は理系一流、文系三流なのか

※イメージ画像

 
大学受験を目指す高校生は受験勉強を始める前に、文理どちらで受験するか選択しなければならない。多くの人が、自身の得意分野で選ぶ、若しくは目標とする職業から選択する。
 
私(記者)もまた、はっきりとした目標が決まっていなかった当時、ある程度の成績が見込まれるという理由で文系を選択したことを憶えている。当時の世界観として、文系は幅広く色々な職業に就けるが、理系は研究者や技術者など、裏方的な仕事に限られてくるのではないかというイメージが強かった。
 
そもそも論になるが、なぜ文理2つに分かれるのかという理由を今一つきちんと突き詰めていなかったように思う。理系=自然科学は、数学や物理、化学、医学、生理学など、人類が存在していようがいまいがこの世界を形作る根本的な法則の研究が主体である。文系=人文科学は、法律、哲学、政治経済、文学、芸術など、人類が作り出した学問と言っていい。前者を神の学問とするなら、後者を人間の学問と置き換えてもいいかもしれない。
 
日本人は自然科学の分野で多くのノーベル賞受賞者を輩出しており、青色発光ダイオードやiPS細胞など現在世界中で活躍している分野を開拓した功績はよく知られているところである。一方、人文科学の分野はどうかと言えば、文化芸術では活躍する人もいるが、政治経済となると、残念ながら「経済は一流、政治は三流」の状態が戦後ずっと続いている。
 
「経済一流」と言っても、加工製品や大量生産技術を開発する理系の能力によって経済大国を果たしただけで、学問としての経済学は見る影もない。毎年ノーベル各賞の日本人候補が採り上げられるが、経済学賞は話題にすらならない。日本人はコツコツと研究し、この世界の法則や未知の現象を見つけることは得意だけれど、人間を相手にした研究は得意ではないようだ。
 
理系には正解があるが、文系には正解がない。文学や芸術も人それぞれの好みで評価に差が生じる。政治なんて、もっとも評価が二分される世界だ。
 
義務教育の中で、私たちはテストで100点を目指し、成績が良ければ褒められ、悪ければ周囲をがっかりさせる。1人だけ勉強とは異なる特技を持っても、その価値を理解してくれる人は少ない。そんな社会全体の価値観が、得意分野と不得意分野の差を生じさせているのかもしれない。
 
10月。今年もノーベル賞の季節が来た。