2018年11月18日(日曜日)
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【論説】オウムを増長させたマスコミの拭えぬ責任

 
教祖の麻原彰晃らオウム幹部6人が死刑執行された。残り7人の死刑囚は、西日本豪雨の災害救援を優先し先延ばしにしていると思われるが、近い時期に執行されるだろう。
 
オウム真理教は1990年5月の熊本県阿蘇郡波野村への教団施設建設計画で地元住民の反対運動が大きく報じられ、全国的にも有名なオカルト教団として知れ渡っていた。
 
私がオウムの名を記憶に焼き付けたのはその少し前、1990年2月の衆院選に真理党の名で麻原と信者24人が立候補した際、非常に薄気味悪い歌とポスターが、高校(杉並区)の周辺に溢れていた頃だ。柔道部だった部員の1人が部室の割れたドアガラスの箇所に、どこかで手に入れたポスターを面白半分で貼った。今思えば、公職選挙法や校則に違反した性悪な悪戯だと思うが、当時は部員も「気持ち悪いよ」と言いながらも雨除けになるのでそのまま放置していた。
 
なぜあのような傍から見ていても不気味な組織に、優秀な若者たちが惹きつけられたのか。インターネット黎明期の当時には、新聞や雑誌、テレビが報じる内容しか知る由もなかったが、今回、死刑執行された幹部連中の経歴などを検索すると、総じて予言や霊感などの超常現象に興味を持った学生や社会人が、雑誌の『ムー』や『トワイライトゾーン』などに掲載された麻原の神秘体験に魅せられてヨガ教室の門を叩いたという共通項を見つけた。
 
1980-90年代と言えば、ノストラダムスの予言本が書店に平積みされ、「1999年の7の月、空から恐怖の大王が来るだろう」などとする終末思想がテレビ特番で改変期ごとに取り上げられ、恐怖を煽って高視聴率を獲得していた時代だ。40代の今ならば、そういったオカルト(超自然的なものの総称)現象を、怪談や都市伝説と同じ類の空想科学に過ぎないと冷静に受け取れるが、10代や20代前半の若者にとって、大人たちが本気になってコワがっている予言を全く信じないわけにはいかなかった。
 
もっと言えば、日本人の大半は心のどこかにノストラダムスの予言を信じているような、そんな空気感があの時代にはあった。1991年3月のバブル崩壊で経済大国日本の凋落が始まり、世紀末が近づく中で終末思想に身をくるんだオウムは危険なテロ集団としての本質を剥き出しにしていった。
 
麻原に同調した秀才たちの胸中には、集団心理の中で「遅かれ早かれ皆死ぬのだし」という世紀末の予言を鵜呑みにすることで、殺人集団の一味となる自分を納得させた者が多かったのではないだろうか。
 
当時、オウムを「仏教の伝統を正しく受け継いでいる真摯な教団」と週刊朝日で持ち上げた宗教学者が、今回の死刑執行でもしたり顔でテレビ解説していた。彼のコメントを信じて入信した人もいると思われるが、そのことについての反省の弁は当時から一言もない(というよりも言い逃れし続けている)。また、坂本堤弁護士一家殺害事件のきっかけを与えたオウム幹部への映像提供について、TBSは今回の死刑執行報道の中で一切触れていない。
 
オカルトブームを作った出版社やテレビも、オウムの存在を肯定的に紹介した週刊誌も、麻原やオウムの水中修行をお笑い番組で起用したプロデューサーも、誰一人としてオウム事件を省みて懺悔する者はいない。むしろ、その後も六星占術やらスピリチュアルやらで新たな流行を率先して作り出しては、新たな被害者を生み出している。
 
日本を太平洋戦争に導いたマスコミは、20世紀末でも、現代社会でも、社会をパニックに陥れたミスリードについて責任逃れの反省の弁は述べても真摯に向き合うことなく、フェイクニュースを量産しバズった利益を貪り続け、同じ過ちを繰り返している。