2019年10月15日(火曜日)
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今上陛下御譲位は戦後体制・日本国憲法体制を超える 西村眞悟

 平成の御代最後の新春を迎えている。
即ち、四月三十日に、「万世一系の皇祚を践める第百二十五代日本国天皇」である今上陛下は譲位され、翌五月一日、皇太子殿下が践祚され第百二十六代日本国天皇となられる。ここに、平成の御代が終わり新しい御代が始まる。
 
 これは、まさしく「譲位」である。何故なら、このことは、平成二十八年八月八日に、国民に向けて表明された今上陛下の御意思に基づくものであるからだ。しかるに、マスコミは、この八月八日の御表明の翌日に、今上陛下の御譲位を、「退位」として報道し、政府も「退位」としている。
 
 皇后陛下は、同じ年のお誕生日である十月二十日のお言葉で、「この度の陛下の御表明も、謹んでこれを承りました」と述べられた上で、「ただ新聞の一面に『生前退位』という大きな活字を見たときの衝撃は大きなものでした。それまで私は、歴史の書物のなかでもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きとともに痛みを覚えたのかも知れません。」と語られた。そして、今上陛下も一貫して「譲位」と言われている。旧臘、十二月二十三日のお誕生日の「お言葉」でも、「来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります」と国民に語られた。なお、皇后陛下の、陛下の御表明を「謹んでこれを承りました」とのお言葉は、「聖徳太子十七条の憲法」その三にある「承詔必謹」に出でたものであることに思いを致さねばならない。
 
 そこで、平成の御代最後の新春に、日本人なら確認しなければならないことがある。それは、我が国の天皇には、崩御および譲位はあっても「退位」はあり得ないということだ。天皇を、「個人(Individual)」と思ってはならない。天皇は、今現在だけに存在している「砂粒のような個人」ではなく、神話と歴史と伝統のなかに位置づけられている。戦前の詔書を観れば、天皇は「天佑を保有し万世一系の皇祚を践める大日本帝国天皇」とある。我が国のこの国体は戦前戦後変わっていない。「万世一系の皇祚を践める」ということは、「天照大神の天壌無窮の神勅」によって「天孫降臨した天皇」ということだ。この神勅による天皇に「退位」はありえない。我が国の、天皇は、フランスやロシアのルイ十六世とかナポレオンとかニコライ二世とは全く違うのだ。今上陛下も、昭和天皇の崩御により、三種の神器の承継である剣璽承継之儀を行われ大嘗祭をへて、まさしく万世一系の皇祚を践まれたこと、まぎれもない。
 
 このように記す筆者を神がかりという勿れ。ここに日本が日本である源泉がある。フランスの社会人類学者クロード・レブィ=ストロースは次のように言っているのではないか。
「われわれ西洋人にとっては、神話と歴史の間に、ぽっかりと深淵が開いている。日本の最大の魅力の一つは、これとは反対に、そこでは誰もが歴史とも神話とも密接な絆をむすんでいられるという点にあるのだ。」
 
 さて、この今上陛下の御譲位を、我が政府つまり内閣は、何故、不敬にも「退位」と呼ぶのか。その訳は、昭和二十一年十一月三日に公布された「日本国憲法」が、「天皇の譲位」を想定していなからだ。つまり、この「日本国憲法」を書いた者達、つまり三十歳代のアメリカ人二十五人であるが、これが「天皇の譲位」を想定していなかった、これが理由だ。これに対し、明治二十二年二月十一日に公布された「大日本帝国憲法」にも譲位の規定がないと反論する方もいるかもしれないので、言っておく。「大日本帝国憲法」は、天皇の皇位継承のことは世俗の法を超越した次元のことであるという前提に立っている。つまり、「詔書必謹」、「詔を承れば必ず謹め」、という次元に立つ。だから規定していないのだ。その第三条に「天皇は神聖にして侵すべからず」とあるではないか。それ故、「大日本帝国憲法」の基では、この度のことを「退位」とは断じてせず、「御譲位」とする。
 
 従って、「日本国憲法」が譲位を想定していないのならば、現内閣も同じように、聖徳太子が教える「詔書必謹」の次元に立って「御譲位」とすべきであろうが。それを、「退位」として、今上陛下には内閣の決定により「退いていただく」とは何事か。
思うに、現内閣は、黒いカラスを白いカラスと言いくるめる「法匪」に従って「日本国憲法体制」の殻に閉じこもっているのだ。現内閣は、「戦後体制からの脱却」と「日本を取り戻す」という志を掲げて国民の支持を受けた内閣ではないのか。この原点を自問して恥ずかしくないのか。
そこで、この臆病という病に取り憑かれた政界の見て見ぬふりをした不作為という現状を前提にして、この春の今上陛下の御譲位が持つ深く大きな意義を指摘しておく。
 
 それは、今上陛下御一人で、「戦後体制」の桎梏から脱却され、「日本を取り戻す」一歩を踏み出されるということだ。御譲位の後に「上皇」となられる今上陛下の存在を「日本国憲法」は、想定していない。従って、上皇は、御自由に靖国神社に御親拝されるに、何の障害もない。
 
 今上陛下の御譲位は、「日本国憲法」を超越することだ。この事態は、天皇と朝廷を、幕府の統制下に置こうとする徳川幕藩体制の構築に対抗して、決然と、六歳の第二皇女興子内親王(明正天皇)に譲位して、以後、五十一年間上皇として幕府に対峙された第百八代御水尾天皇の寛永六年(一六二九年)の御譲位に匹敵するということだ。この御水尾天皇の御代に、山崎闇斎、山鹿素行、徳川光圀、淺見絅斎という後の「王政復古の大号令」に始まる明治維新の思想的源流をつくった人士が生まれている。
 
 この度の今上陛下の御譲位も、戦後体制から脱却して明るくたくましい日本に向かう始まりとなる。