歴代天皇の詔勅謹解 第四回「講演の一部要旨・歴代天皇の宮趾の意義」 御所市議会議員 杉本延博

 今回は、十二月二十三日、天長節奉祝京都式典(主催・日本会議京都、京都府神社庁)での記念講演「歴代天皇の詔勅に学ぶ」の中から「歴代天皇の宮趾」についてお話しした箇所をとりあげて一部講演要旨として寄稿させていただきます。

 

 私は、平成二十四年、古事記編纂千三百年の記念すべき年に『不二』(不二歌道会)誌上で連載『歴代天皇皇居探訪誌』を一年半かけて寄稿させていただきました。

 現在、歴代天皇の御陵は、宮内庁によって管理、整備されております。また戦前、戦後を通じて歴代天皇の御陵をとりあげた多くの書籍が出版されてきました。

 では、歴代天皇の宮趾に関しては、どうなのでしょうか。執筆にあたり、宮趾を訪れたところ聖蹟を示す石碑が建立されているところ、建立されていないところがあることに気づきました。また書籍については、考古学に基づいた飛鳥京などの限定的な書籍が多く出版されています。しかし歴代天皇の宮趾をとりあげたものは、高城修三氏の『神々と天皇の宮都をたどる 高天原から平安京へ』ぐらいしか見当たりません。

 さて各種団体や有志の手により、歴代天皇の宮趾を示す石碑が建立されてきましたが、なかでも奈良縣教育會という団体が多くの石碑を建立しております。

 この奈良縣教育會は、いかなる目的で石碑を建立したのでしょうか?奈良新聞・大正四年十一月十日発行に「縣教育會の記念事業」の見出しで記事が書かれています。以下、記事の全文を紹介します。

「縣教育會にては御大典記念事業として経費百餘圓を投じ縣下風俗誌並びに史蹟圖の編纂をし、尚縣下に散在する各宮址四十箇所の中、判明したるもの約三十箇所に高さ二間の石標を建設(此経費九百圓)することとなれるが何れも目下着手中にして完成には尚多くの日子を要すべしと。」

 記事を読んでみてわかるように大正天皇御大典事業の一環としての石碑建立事業であったことがわかります。

 記事には、各宮趾の約三十箇所に建設予定と書かれています。奈良縣教育會による石碑建立数を確認したところ十一箇所でありました。

 大正天皇御大典事業の一環として奈良県下で心ある有志の手による石碑建立活動が展開されたことに敬意を表したいと思います。

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