2019年10月18日(金曜日)
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【近代日本ではなぜ郷土愛と愛国心が結びつかなかったのか】 島袋悠飛(学生)

 日本の社会風潮として郷土愛は大事にされる一方で、愛国心となると否定的、もしくは軽視される傾向があると感じ、日本と西洋の国家観を比較しながら、その要因を論究する。
 
 先ず西洋における国家観について考える。17世紀後半より、国家のあり方を合理的に考えようとする啓蒙思想の流れが生まれ、その影響で近代市民革命がおこる。近代市民革命は、西洋諸国の代表的な国家観である社会契約説の誕生へとつながる。では、社会契約説の代表的な思想家である、ホッブズの「リヴァイアサン」、ロックの「統治二論」、ルソーの「社会契約論」の考え方をそれぞれ論じていくこととする。
 
 ホッブズは「リヴァイアサン」にて、自然状態を「万人の万人に対する戦い」とし、「自然権を譲渡した権力者に絶対的に服従する」という社会契約の考え方を提唱した。政治体制としては、君主制の擁護である。
 ロックは「統治二論」にて、自然状態は「自由で平和だが不安定」とした。「自然権を政府に委ねるが、抵抗権・革命権は人民が持つ」という社会契約を考え、政治体制としては、市民のための政府で権力分立を提唱した。
 ルソーは、「社会契約論」にて、自然状態については、「完全な自由・平等・独立」とした。「自然権を共同体に譲渡し、一般意志に従う」という社会契約を提唱し、政治体制としては直接民主制を唱えた。これらが、西洋的国家観の社会契約説である。
 
 一方、近代日本ではどうであったか。明治維新後の近代日本をみていくことにする。
 
 近代日本は明治維新という政治改革を経て、明六社に集まった知識人たちが、西洋の学問や思想、制度や文化を日本に紹介し、日本の国家としての近代化を目指した。明治政府の「文明開化」「富国強兵」の路線を支持し、それを支える民衆を育てようとした。しかし、彼ら明六社の知識人たちの説く「自由・平等・自主」などの理念は、彼らの教え子たちがその意図をこえて、自由民権運動に関与し始めた。そのアンチテーゼとして伝統主義思想が台頭。教育勅語に代表されるような国民主義が生まれた。結局、近代日本では啓蒙思想は限界を迎え、一般民衆には広がらなかった。これが、日本で起きた郷土愛と愛国心が結びつかなかった理由のひとつになっていると考える。では、なぜそうなるのか分析したい。西洋においては、革命が発生している。人民の手で国家を建設。社会契約説に基づく思想で、人民が国家運営を行った。人民自らの手で国家運営を行っているという意識から、愛国心と郷土愛が結びついたのではないだろうか。
 
 しかし、日本のおいては革命という歴史がない。西洋は王政打倒などの革命をしているが、日本は天皇や皇室を打倒していない。自由民権運動にも民衆は共鳴しなかった。それは日本と西洋の国々とでは、国家の成り立ちが違うためであると考える。日本は、地方各地にそれぞれのアニミズムがあり、神道的価値観で国家が成立していった歴史があり、結局のところ愛国心よりも各地方の人々が、自分たちの生まれた地方を愛する、いわば「地方愛」ともいうべき郷土愛が形成され、それが根強い。愛国心に関しては、近代日本においては尊皇思想である。それは、自由民権運動に対するアンチテーゼとしての国民主義思想であり、日本国内外の情勢変化によって台頭したと考えられ、地方と国家全体に対する意識が解離し、日本では愛国心と郷土愛は別物であるかのような認識になったのではないだろうか。