2019年05月25日(土曜日)
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【筆は剣よりも危うし】   敬弔 沼山光洋さん  三澤浩一(武客)

沼山光洋さんが令和元年5月11日の早朝、靖国神社前の道路上で自決されました。
悲しいです。
 
沼山さんの御霊に謹んで哀悼の誠を捧げますとともに、沼山さんの生前の御活躍に感謝と尊敬の意を表します。
沼山さんは腹に刃物を深く突き刺し、腹を一文字に割っさばきました。
見事な切腹です。
 
大量の出血のため、携行していた遺書は血塗れとなってしまい、判読できなくなりました。
しかし、冷静沈着な沼山さんは写しを自宅に遺していてくれました。
 
さらに沼山さんの凄いところ、素晴らしいところは、靖国神社の神域を血で汚さないよう、自決されるときまで配慮されていたことです。
中通りといわれている靖国神社の神門前の路上、歩道というよりも車道にかかっている道路上での自決でした。
神域は血で汚していません。
 
生真面目な沼山さんらしいことですが、驚くばかりでした。
沼山さんの人物を一言でいえば「優しい笑顔が輝いている好漢」です。
沼山さんを知っている方々は同じ感想ではありませんか。
 
沼山さんの遺言ともいうべき言葉は、沼山さんが事務局長をされていた靖国会のホームページに「新時代令和を迎えて」と題する文書が掲載されています。
靖国会のホームページは次の通りですので、ご高覧ください。
 
http://yasukunikai.com
 
沼山さんの遺書と考えてください。
 
沼山さんは靖国会の事務局長をはじめ多くの敬神尊皇団体の役員として獅子奮迅かつ東奔西走のご活躍をされていました。
靖国神社をはじめ全国各地の護国神社の忠霊に誠を尽くしてこられましたことは、全国の皆さんもご承知の通りです。
沼山さんは、先帝陛下が御譲位の御希望を明らかにあそばされてから、天皇陛下の靖国神社御親拝を祈願され、全国各地の護国神社を巡拝されるなど、全力を尽くされました。
 
沼山さんは平成29年春、天皇陛下の靖国神社御親拝を祈願するため、靖国神社を参拝してから全国の護国神社を巡拝、そして靖国神社に奉告されましたことは、靖国会のホームページに詳細が掲載されています。
 
巡拝のとき、天皇陛下の靖国神社御親拝を実現するため「命を懸ける」と、忠霊にお誓いしたとのことです。
「命を懸ける」
そう誓ったのだから、実現できないときは責任を取るんだとのことです。
 
しかし、誤解なさらないでください。
沼山さんの自決は、先帝陛下への諌死ではありません。
もちろん批判でも抗議でもありません。
絶対に違います。
 
先帝陛下へ、天皇陛下へ、お詫び申し上げるための自決です。
靖国神社御親拝をお望みであらせられる天皇陛下が、靖国神社へ御親拝できない状況を打破できない、天皇陛下の靖国神社御親拝を妨げる勢力を打倒できないことをお詫び申し上げたのです。
 
天皇陛下にお詫び申し上げた自決、靖国神社の忠霊にお詫び申し上げた自決です。
これだけは絶対に誤解せず、絶対に理解してください。
 
ちなみに5月11日は、沼山さんが尊敬されていた靖国神社御祭神の西田高光命の御命日です。
西田高光命は海軍特別攻撃隊の神雷部隊に所属された学鷲のお一人でした。
 
なお、靖国神社の御厚情により、自決現場近く、玉垣の内側に献花台を設けていただきました。
靖国神社の御厚情に感謝いたします。
献花台には多くの方々からのお花が捧げられています。
ありがたく存じます。
 
沼山さんと御家族たちとのお別れでは内々ながら、沼山さんが最も尊敬されている方が斎主をつとめてくださり、厳粛に神事が執り行われました。
沼山さんの棺には多くの皆さまから寄せられた献花、また靖国神社をはじめとする全国の護国神社の御朱印帳、そして「嗚呼忠臣楠子之墓」の拓本などの大楠公に関する品々を納めました。
 
沼山さんの御希望に沿う形での友人葬(神葬祭)は後日あらためて執り行います。
その際には御案内いたしますので、今しばらくお時間をください。
 
御遺族は心痛かつ心労が激しいですので、御遺族へのお問い合わせなどは差し控えてくださいますよう、宜しくお願い申し上げます。
お問い合わせなどは下記まで御連絡くだされば、できる限り対応いたします。
もっと早くお知らせすべきでしたが、悲しみのあまり頭が混乱、精神が錯乱しているため、御無礼が多々あるでしょうが、御海容ください。
 
末筆となりますが、沼山さんの自決に際しましての靖国神社および警視庁の御高配には感謝いたしております。
今はただ、ただただ悲しいです。
沼山さんと同じ時代を生きることができた幸福と光栄には感激いたしておりますが、悲しいです。