2019年06月20日(木曜日)
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【天皇御製に学ぶ 第二十九回 】 ―後醍醐天皇御製― 四宮政治文化研究所所長 四宮正貴

さしてゆく 笠置の山を いでしより 天が下には かくれがもなし
 
第 九十六代後醍醐天皇は、正応元年(一二八八)ご生誕。延元四年(一三三九)崩御。御名は尊治。後宇多天皇の第二皇子。母君は談天門院忠子。 文保二年 (一三一八) 、花園天皇の御譲位を受けてご即位。後宇多法皇の院政のもとにあったが,元亨元年(一三二一) から院政を廃し、天皇親政を復活された。吉田定房,北畠親房らの人材を集め,記録所を再興し,政治の改革に努められ、一君万民の國體を明らかにすることを目的として、鎌倉幕府打倒計画を進められた。
 
正中の変,元弘の変と二度とも失敗に終り,元弘二 (一三三二) 年、北條高塒によって隠岐に配流され給うた。のち隠岐を脱出して伯耆に移り,皇子方・忠臣などの顕著な働きによって北條幕府が滅亡すると京都にご帰還あそばされ,建武中興が開始された。しかし足利高氏の謀反により、天皇は吉野に遷られた。『建武年中行事』『建武日中行事』の御著がある。御陵墓は奈良県吉野郡吉野町の塔尾陵。
 

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