2018年12月16日(日曜日)
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【日いづる國に生れて】 ―開戰の日に考へる終戰といふ欺瞞― 我が國語を愛し學ぶ國民の會 代表 高見澤絹江

1、  亞細亞の獨立は日本の戰果か
 
十二月八日は所謂開戰の日。始めた事は何時か必ず終る譯だが、此の戰ひに日本は負けた。敗戰である。處が何故か八月十五日は「終戰の日」である。
日本の決起に由り其れを切掛けに亞細亞は次々と獨立した。又何百もの日本兵が獨立の爲に共に戰ひ、大東亞の民族解放といふ當初の目的は達成した。だから負けてはゐない。故に終戰だといふのだ。
人はかういふのを、負惜しみ或は負け犬の遠吠へといふのではなかつたか。
こんな言ひ方をすると英靈に無禮だと御叱りを受けさうだが、御考へ頂きたい。我が帝國軍人の皆樣が武装解除をされた際には、亞細亞は未だ獨立してゐなかつたのではないか。そして、軍人も國民も玉音放送に涙して唇を嚙締めて敗戰を受入れたのではなかつたか。
誠に残念乍、戰争には明らかに負けたのだ。
にも拘らず、戰後此れを「終戰」と呼んだ事で我々は多くの物を失つてはゐないか。負けを認めないが故に、取戻すべき物やるべき事を見失つてはゐないか。
だから私は、「終戰」と言ふ言ひ方は米國の思惑が存在するのだらうと考へてしまふ。
 
2、  棚から牡丹餅の獨立と戻らぬ主権
 
とにもかくにも亞細亞の國々は獨立した。其々の國の國民が自ら戰ひ獨立を勝取つた。
では日本はどうか。
占領の名の下、實質殖民地支配を受け續け、米國の都合で「獨立の體裁」を得た。此の「獨立」を「主権囘復」とも呼ぶ樣だが、果して主権は囘復したであらうか。
此の『棚ぼた獨立もどき』を、「獨立」とか特に「主権囘復」とか呼ぶ事でも大事な物を見失つた。
取戻すべき主権が何かに気附く機會を奪はれたのである。
 
3、  國の持つ主権で最も重要な物
 
現在の日本國は對外的には獨立國の體裁は整つてゐるかの樣に装つてゐる。
しかし乍、施政権の元となる憲法は占領期の儘であつて、其れを解釈と運用で何とか誤魔化して、「國」と言ふ外郭を維持してゐる。
もつと由々しきは中身、つまり國民である。
日本に生まれた人々は、何時どうやつて日本國民に成るのか。
其れは、國語を覺え、歷史文化を知る内に日本國民に成るのである。だからこそ、義務敎育で國の選定した敎科書で學ぶのではないか。
であるならば、政府が自國民をどう敎育し、結果どういふ國にしていくかと言ふ敎育権とも呼べる物こそが、國を形作る基本中の基本とは言へないか。
處が日本政府は、この敎育権と言ふ國の持つ最も重要な主権そして義務を、蔑ろにした儘なのである。
占領期に行はれた反日敎育を是正もせず、それどころかヒップホップダンスだの英語敎育だの、まるで殖民地敎育の強化に勤しんでゐるかの樣ではないか。
我々は負けた。そして狡猾な殖民地支配を受け、言葉を奪はれた。多くの文化を失つた。
しかし、負けを認めず其の屈辱から目を逸らしてゐる内に、取戻すべき大切な物を見失つてしまつたのだ。
憲法改正の聲が高まつてゐるかの如く言はれてゐるが、政府自ら反日敎育をしてゐ乍、何故未來を語れるのか、私には不思議でならない。
口惜しいが、負けを認めよう。そして、今一度此の敗戰の汚辱に向合ひ、眞に日本國が日本國で在り續ける爲に、奪はれた敎育を、そして言葉、文化を取戻さなければ、其れこそ英靈の皆樣に顔向け出來ないではないか。
敗戰を終戰と呼ぶ樣な欺瞞はもう止めよう。