2018年11月17日(土曜日)
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【拉致問題の闇を切る】   -死んだ拉致被害者をどうするのか-   荒木和博  特定失踪者問題調査会 代表

 今から16年前の9月17日、小泉訪朝の当時私は救う会の事務局長でした。
 
 この日は朝から衆議院第一議員会館で待機していたのですが、昼頃官邸から連絡があり、「8件11人(当時の政府認定者総数)全員の消息を伝えるので外務省に来てもらいたい」とのことでした。
 
 半信半疑でしたが、家族会の皆さんとともに官邸差し回しのバスで外務省の飯倉公館に向かいました。この後起きた「飯倉公館事件」についてはあちこちで書いているので省略します。ご関心のある方は拙著『日本が拉致問題を解決できない本当の理由』(草思社)などをご一読いただければ幸いです。
 
 そのとき、横田めぐみさんのご家族、滋・早紀江夫妻と弟の拓也さん・哲也さんに対して政府が伝えたのは「誠にお気の毒ですが、めぐみさんは亡くなっておられます」という言葉でした。これを聞いたとき、一緒にいた佐藤勝巳・救う会会長は泣いて横田さんに謝りました。しかし私は何もできずに呆然としていました。
 
 拉致問題に関わっているものなら誰でも、声を上げることによって被害者に危害が及ぶのではないかという心配を心のどこかに持っています。このときはそれが現実になってしまった、自分のやってきたことは人殺しだったのだという思いで私は頭の中が真っ白になりました。
 
 幸い後にこれは嘘だったことが分かりました。家族に伝えた当時の植竹繁雄外務副大臣自身がそう信じ込まされていたのですから、元凶は別のところにいたのですが、当時はそんなことは全く想像もしていませんでした(裏返せばめぐみさんが生きているということです)。とはいえ、あらためて考えるとたとえ横田めぐみさんが元気であったとしても、拉致被害者の全てが元気で生きている可能性は残念ながらほとんどありません。
 
 もちろん、全員が無事に帰ってくることが最も望ましいことは言うまでもありません。しかし例えば昭和38年(1963)5月の寺越事件のとき、今は平壌にいる寺越武志さんの叔父昭二さんは拉致される途中で抵抗して射殺され海に沈められたと言われています。同様他の事件でも拉致の途中で殺害された人も相当数いるでしょう。昭二さんの弟で一緒に船に乗った外雄さんは武志さんとともに拉致され平成6年(1994)に北朝鮮で亡くなったと言われています。年齢等から考えて北朝鮮で亡くなった拉致被害者は相当数いるでしょう。北朝鮮にいる人たちの無事を願っていることがいつの間にか希望的観測になり、無事でいるのだろうと思い込むのは過ちです。
 
 拉致問題は生存者の帰国によって終わるものではありません。家族もすでに高齢のケースが多く、その家族が亡くなって後を託す人がいなければ、拉致被害者が日本国民として存在とし、拉致されていたという事実すら永久に失われてしまう可能性もあります。ですから、例え「全被害者即時帰国」が実現したとしても、拉致問題は終わらないのです。拉致問題に「解決」はありません。これまで何十年もやってきたことの責任は絶対に彼らに負わせなければなりません。落とし前はつけなければならない。
 
 これは法律の枠などを越えた話です。国家として、そのけじめはしっかりと付けなければならない。日本人は普段はニコニコしていても、怒れば何をするか分からない、だから近代に入ってから世界中の大国と戦争をし、本当に負けた相手は米国だけでした。それが日本の無形の抑止力になっていることは間違いありません。逆に言えば国民を拉致され、殺されていてもニコニコしていたら次の時代の日本も守ることはできないと思います。私たちはあらためてこのことを直視すべきではないでしょうか。