2018年10月19日(金曜日)
ようこそ、ゲストさん。有料記事を見るにはログインが必要です。
 
 
ログイン情報を記憶

システム復旧致しました。

【日本共産党の実態】    ―日本共産党の血塗られた武装闘争時代と、でたらめな隠ぺい工作―   共産主義研究家 安東幹

 日本共産党は危険な暴力団体である。過去、暴力による権力奪取をめざし、火炎瓶などで全国で交番を襲撃し、暴動を繰り返した。地主に暴行をふるったり、中小企業から資金を強奪したり、警察官を殺傷したりするなどの事件を繰り返した。全国各地の人目につかない山村で、爆発物の製造法を学んだりして軍事訓練を行った。しかも、これらの事実について日本共産党の責任をまったく認めず、若い党員にまったく教えない。さらに、日本共産党の暴力を使用してでも革命を実現するという体質は、今でも変わらない。日本共産党の非合法化が必要とされる根拠である。
 
 戦後、GHQのマッカーサー司令官は、投獄されていた日本共産党幹部を自由にし、中国などに逃亡していた日本共産党幹部に帰国を許し、日本で、日本共産党の活動を自由にした。そのような状況の中、昭和24年(1949年)の第24回衆議院議員選挙で、日本共産党は466議席中35議席を得、また、日本全国の労働組合や学生運動に巨大な影響力を持った(当時の労働組合はほとんどが社会党と日本共産党の影響下にあった)。当時、世界中の共産党はソ連を中心として一枚岩で共同行動を取っていたが、チトーが率いる共産主義国ユーゴスラビアは、ソ連ブロックから離脱し、独自路線を取るようになった。そのような中、日本共産党も、平和路線により共産主義革命を実現するという独自路線をとり、第二のユーゴスラビアとなるかと注目を浴びていたのである。
 
 1949年、日本共産党の指導者的地位にあった野坂参三氏はGHQが指揮する日本のもとでも平和的な共産主義革命は可能との見解を繰り返す。しかし、1950年1月、ソ連や中国共産党が、野坂の「新理論」を帝国主義美化論として批判する。日本共産党指導部は、ソ連と中国共産党に全面的に屈服し自己批判する。この時点において、日本共産党は世界中の共産党と歩調を合わせて武装闘争に走るのは明確であった。ソ連共産党が提唱する資本主義全般的危機論、世界中の共産主義者が決起すればすぐにでも資本主義は崩壊して世界共産主義革命が実現するという理論のもとで、GHQが日本共産党の取り締まりに動くのは予想された。マッカーサーは、日本共産党幹部に出頭を命じたが、日本共産党幹部は出頭を拒否し、地下に潜った。もともと、ソ連や中国共産党に従うべきと最初から主張していて少数意見派だった宮本顕治は、九州で活動を続けていたが、当時の郵便やコミュニケーションの事情などで連絡がつかない中、地下に潜った日本共産党幹部の間で武装路線が決定された。ちなみに、宮本顕治はGHQに出頭した。
 
 日本共産党は、1955年7月、第六回全国協議会を開催し、武装闘争路線を放棄した。そして、この間の軍事路線は、正式な日本共産党機関の決定ではなく、日本共産党は軍事路線を一度も方針としたことが無いと主張する事となった。それは、今でも引き継がれ、青年党員には武装時代があったことすら教えられない。
 
 しかし、この記事で述べられているように、日本共産党の軍事路線は、分派が勝手にやったとの主張は受け入れられない。多くの書物が日本共産党の軍事行動について述べているが、日本共産党からの反論や場合によっては訴訟にも備える事は意味があるだろう。
 
 次回以降、日本共産党の軍事行動について解説していく。