2018年10月19日(金曜日)
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【憂国の風】 ―追悼 後藤修一同志― 玉川博己(三島由紀夫研究会代表幹事)

 私どもの長年の同志で、三島由紀夫研究会の幹事をつとめていた後藤修一氏が去る7月19日に心不全のため横浜の自宅で急逝されました。享年66でした。ここに謹んで故人への哀悼を表するものです。
 
 後藤修一氏は昭和27年生まれ、横浜市出身。昭和45年11月25日あの三島事件のときにはまだ高校生であった後藤修一氏は翌昭和46年1月に日本学生同盟(日学同)の高校生組織である全国高校生協議会(全高協)に加入し、以来日学同、日学同を母体として結成された重遠社、そして三島由紀夫研究会と一貫して三島由紀夫先生の憂国の精神を継承する運動に挺身されてこられました。
 
 その意味で平成17年に郷里新潟で壮絶な自刃を遂げた故三浦重周と同様に「決死勤皇 生涯志士」を体現してこられた人生でありました。
 
 また後藤修一氏は少年時代からドイツ近現代史、とくにナチス・ドイツの研究に取り組まれてこられ、日本でも有数の研究家として業績を残されました。エピソードとして、三島由紀夫先生の戯曲「わが友ヒットラー」が昭和44年1月劇団浪曼劇場によって初演されたとき、これを見た後藤氏は、村上冬樹演ずるヒットラーの勲章の付け方や、勝部演之扮する突撃隊幕僚長レームの制服が突撃隊でなくて陸軍の軍服であることなど、時代考証が間違っていることを三島先生に直接伝えて、三島先生が後藤氏の博識ぶりに驚いたということがありました。以来後藤氏は三島先生からその死まで大変可愛がられました。
 
 その後、ドイツ文化研究のため玉川大学へ進んだ後藤氏は、憂国忌の発起人であった慶應義塾大学の多田真鋤教授の近代ドイツ政治思想史のゼミに、学外ゼミ生として参加し、カール・シュミットやナチズムなどについて研鑽を積まれました。以後も家業のかたわらドイツに関する政治史、音楽史など幅広く研究されました。
 
 また日学同、重遠社の国際問題担当者として当時欧州で台頭しつつあった西ドイツにおける国家民主党(NPD)やイタリアにおけるイタリア社会運動(MSI)など欧州民族派運動との連帯につとめられました。
 
 その後も世間では後藤修一氏はナチズムの専門家、あるいは一部でナチオタクの元祖と揶揄されることもありましたが、後藤氏の神髄は決して外国崇拝ではなく、あくまでも天皇を戴く皇道を根底に戦後の日本を真の独立した国家に再建することが目標でありました。
 
 ある人が後藤氏に「貴方にとってヒトラーと天皇はどちらが大切か」と尋ねたとき、後藤氏は「何を馬鹿なことをいうな、日本人である以上自分は絶対的な尊皇主義者である」と答えました。まさに後藤氏は三島先生の憂国の精神を体現された方でありました。
 
 近年は病気がちでしたが、憂国忌には必ず参加し、ずっと憂国忌における音響を担当されてこられました。私にとっても年齢は60代になっても、あの10代の少年時代の可愛い後藤氏の面影が永遠に残っています。
 
 あらためて私どもの運動に尽くされた後藤修一氏の功績を偲び、心より哀悼の念を表するものです。
 
 尚、後藤修一氏の葬儀は去る7月28日に横浜市内で執り行われまたが、今月の9月29日(土)に当会が中心となって「後藤修一氏を偲ぶ会」を東京都内で開催する予定です。時間は当日午後6時から、会場はアルカディア市ヶ谷です。会費はお一人7千円の立食形式でどなたでも参加できます。お問い合わせは当会事務局までお願いします。当日は故人が好きだった多くのドイツ行進曲やドイツ軍歌を聴き、また故人の友人、同志の方々に思い出を語って頂き、最後は当研究会の流儀に従って、維新運動家・後藤修一氏を送るにふさわしく参会者全員で「青年日本の歌」(昭和維新の歌)と「海ゆかば」を歌う予定です。
 
三島由紀夫研究会事務局連絡先は下記の通り。
 
TEL 090-1611-9839
Eメール yukokuki@mishima.xii.jp)