2018年11月20日(火曜日)
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【日本への回帰】 ―欺瞞に満ちた広島の原爆慰霊碑― 展転社編集長 荒岩宏奨

 原爆慰霊碑の碑文
 
 八月六日、毎年この日には広島で平和記念式典が開催される。なお、平和記念式典の正式名称は「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」である。略したときに「祈念」を「記念」と表記することに特定のイデオロギーを感じてしまう。平和になったことを「記念」する日であるということは、原爆が投下によって平和になったという意味を持つ。これは原爆を正当化するアメリカのイデオロギーであり、日本人の思想とはとても思えない。原爆投下によって平和になったのではなく、広島の街は地獄と化したのである。
 
 そして、この式典は原爆慰霊碑の前で開催される。おそらく、ほとんどの日本人が一度は見聞したことがあると思われるが、その碑には「安らかに眠って下さい/過ちは/繰返しませぬから」という文字が刻まれている。そして、多くの人々が原爆犠牲者を悼み、その碑の前で手を合わせている。
 
 しかし、この碑文に違和感を覚える。「安らかに眠ってください」はいいとしても、「過ちは繰返しませぬから」では、まるで日本人が、または広島市民が「過ち」を犯したという意味になるのではないだろうか。碑文はまるで、占領政策によってすり込まれた東京裁判史観、自虐史観を象徴するかのような詫び証文である。もう一度原爆を落とさせない、核攻撃をさせないという意味であれば、「繰返しませぬから」ではなく、「繰返させませぬから」でなければならない。
 
 「過ち」を犯したのは誰か
 
 広島では、何度もこの碑文をめぐって論争が起こっている。昭和四十五年には「原爆慰霊碑を正す会」が結成され、碑文の改正を要求。それに対して「碑文を守る会」も結成され、大きな論争へと発展した。このとき、山田節男広島市長は「過ち」を犯したのは「世界人類」であるという見解を示し、広島市は「すべての人々」であるとしたのである。では、原爆によって命を奪われた被爆犠牲者たちが過ちを犯したのだろうか。もしそうだと主張するならば、この碑文は被爆犠牲者を冒瀆する碑文であり、決して慰霊の文言などではない。また、碑が建立された昭和二十七年にも論争が起きており、碑文を揮毫した雑賀忠義(広島大学教授)は、主語は「世界市民」だと主張した。「世界市民」などという言葉を使うところに社会主義イデオロギーを感じる。どの見解にしても、そもそも一番の当事国であるアメリカが原爆を過ちだと認めていないのだから、「すべての人々」や「世界人類」や「世界市民」がそれを納得して受け容れることはできないだろう。
 
 原爆投下という「過ち」を犯したのは紛れもなくアメリカであり、この碑文はアメリカの罪を隠蔽する意図があると思わざるをえない。碑文が決定されたのは、昭和二十七年七月二十二日である。同年四月二十八日にわが国は占領から解放され国際社会に復帰しているのだが、占領中は厳しくアメリカを批判することは禁じられていたので、アメリカを批判する文言とすることに恐怖があったとしても不思議ではない時期である。
 
 欺瞞だらけの碑
 
 では、「過ち」とは何か。原爆慰霊碑に書かれている文言なので、「過ち」とは当然原爆投下のことだと思うのが通常であろう。ところが、広島市の見解は違う。「過ち」とは戦争のことだとしているのだ。徐幕前の昭和二十七年八月二日、広島市議会では碑文の「誤ゐÞ」とは何を指しているのかが問われた。そのとき、浜井信三市長は「原爆慰霊碑文の『過ち』とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と答えている。
 
 広島市の見解を碑文に当てはめると、「すべての人々は戦争という過ちを繰り返しませんから」となる。広島市が設置している原爆慰霊碑の説明板にも「碑文は すべての人びとが 原爆犠牲者の冥福を祈り 戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である」と書かれている。もしかしたら、世界平和のための文言だからこれでいいという人もいるかもしれない。しかし、戦争という過ちを繰り返さないことを誓うのであれば、そこに納めるべきは原爆死歿者名簿ではなく、戦歿者名簿でなければならない。原爆は、たとえ戦争中であっても行ってはならない「戦争犯罪」である。意図的がどうかはわからないが、戦争と戦争犯罪の区別ができていない。
 
 実は、この碑の正式名称は「広島平和都市記念碑」である。この碑の下に原爆死歿者名簿が納められていることから「原爆慰霊碑」と呼ぶ。正式名称である「広島平和都市記念碑」では、原爆が投下されたから広島の街は平和になったということを記念するという意味を持つ。これでは原爆犠牲者の慰霊になるはずがない。それどころか、原爆犠牲者のみたまを冒瀆する碑である。
 
 この碑は、碑文だけでなく正式名称からして欺瞞に満ちているのである。欺瞞に欺瞞を重ね、どこが問題なのかを不明にするという意図があるのではないだろうか。
 
 三島由紀夫は「広島の『この過ちは繰り返しません』の原爆碑、あれを爆破すべきだよ。これをぶっこわさなくちゃ、日本はよくならないぞ」(『尚武のこころ』)と述べている。その通りである。このような碑は撤去して、原爆犠牲者を慰霊するための真の慰霊碑を建立するべきである。
 

(原文は歴史的仮名遣)