2018年11月18日(日曜日)
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日本への回帰 さまざまな改元の方法 展転社編集長 荒岩宏奨

 一世一元の制
 
 来年は譲位による御代替わりがあり、即位の礼や大嘗祭などさまざまな儀式が執り行われることとなる。国民生活と一番密着しているのは、改元ではないだろうか。そこで元号について確認しておきたい。
 元号の発祥は支那である。日本が元号を採り入れたのは、孝徳天皇が践祚あそばされたときであった。その元号は「大化」である。明治以前の日本では践祚や吉凶の大きな出来事があると改元が行われていた。ただし、践祚のときに改元が行われなかったことも数度ある。
 
 践祚により改元し、御在位中は改元しないという一世一元の制が採り入れられたのは、明治時代である。明治二十二年に裁定された皇室典範の第十二条で「踐祚ノ後元號ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ從フ」と定められ、一世一元の制が採用されたのである。ところが、占領期の昭和二十二年にこの皇室典範は廃止されて、新たなる皇室典範が一法律として施行されることとなった。その新皇室典範には元号に関する記述がなく、元号に関する根拠法がなくなってしまった。
 昭和五十四年に元号法が施行されたことにより、法的根拠を取り戻した。元号法の第二項は「元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める」であり、やはり一世一元の制が採られている。
 
 立年改元と即日改元
 
 明治以降の改元には三通りある。
 一つめは、立年改元である。これは改元が布告された年の一月一日にまでさかのぼって改元する方法である。明治への改元はこの立年改元であった。改元のみことのりが渙発されたのは慶応四年九月八日で、詔書には「其レ慶応四年ヲ改メテ明治元年ト為ス」と書かれている。すなわち、一月一日から九月七日までが慶応四年で九月八日以降が明治元年ではなく、年始から明治という元号に改めたのである。つまり、慶応四年一月一日は、明治元年一月一日となったのである。
 二つめは、即日改元である。これは改元が布告された日に改元する方法である。明治四十五年七月三十日、明治天皇が崩御なされて、大正天皇が践祚あそばされた。このときのみことのりには「明治四十五年七月三十日以後ヲ改メテ大正元年ト為ス」とある。明治四十五年七月三十日を区切りに、同じ年であっても、それ以前は明治という元号であり、それ以後は大正という元号となるのだ。昭和の改元も、この即日改元であった。
 なお、即日改元していることから「明治四十五年七月三十日」は公式には「大正元年七月三十日」となる。
 三つめは、踰日(ゆじつ)改元である。元号が布告された翌日に改元する方法で、平成の改元は踰日改元であった。昭和六十四年一月七日、昭和天皇が崩御あそばされ、今上陛下が御即位あそばされた。それにともない、元号法に則り、「元号を改める政令」が制定され、元号が「平成」と定められた。この政令の付則には「この政令は、公布の日の翌日から施行する」とあり、一月八日からが平成となったのである。
 なお、日本には例がないが、布告された月の翌月一日から改元する踰月改元や、布告された年の翌年の一月一日から改元する踰年改元という改元の方法もある。
 
 新元号の公表時期
 
 来年の御代替わりによって、平成という元号から新たな元号へと変わることになる。今回の改元は即日改元となる。これまでは、崩御の日と践祚の日が同日だったのだが、来年は「御退位」が四月三十日で御即位が五月一日と一日違うので、踰日改元のように感じられるかもしれない。
 今回は御譲位での御代替わりで、新天皇の御即位日が決定していることから、これまでの改元とは異なる事情が発生している。それは、新天皇御即位前の新元号公表である。
 政府は改元の約一ヶ月前に新元号を公表しようとしているみたいだが、新元号は天皇御即位後に公表すべきである。歴史を顧みれば、元号の制定権を有していたのは天皇である。ところが、元号法第一項では「元号は、政令で定める」とされており、元号の制定権が内閣となってしまっている。それでも、「平成」という元号を定めるに当たっては、元号案を御即位直後の天皇陛下に上奏して、ご聴許を賜ってから閣議決定している。よって、平成の改元を前例として、御即位後に天皇陛下のご聴許を賜ってから新元号の公表をすべきである。
 また、意外と西暦を使用する保守派が多いのだが、ぜひとも元号を使用してもらいたい。
 

(原文は歴史的仮名遣)