2018年12月16日(日曜日)
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天皇御製に学ぶ 第二十三回 四宮正貴

天皇御製に学ぶ 第二十三回 四宮正貴

 
後宇多天皇御製
 
神祇
天つ神 國つやしろを いはひてぞ わが葦原の 國は治まる
 
 第九十一代・後宇多天皇(ごうだてんのう。文永四年一二月一日【一二六七年一二月一七日】 ― 元亨四年六月二五日【一三二四年七月一六日】。ご在位:文永十一年ⅰ月二十六日【一二七四年三月六日】 ― 弘安十年十月二十一日【一二八七年一一月二七日】)。諱は世仁(よひと)。亀山天皇第二皇子。
 
ご在位中に、元・高麗軍による文永・弘安の両役、いはゆる「元寇」といふ未曽有の國難が起った。一度目の文永の役では元はおよそ二万三千の軍勢で対馬壱岐を攻略し、博多湾から九州に上陸した。また、二度目の弘安の役でもおよそ十四万の軍勢が送りこまれた。
 
 ご幼少であらせられた後宇多天皇に代り亀山上皇が伊勢の神宮をはじめ、山陵八か所などに勅使を派遣し「敵國降伏」を祈願され、また石清水八幡宮に上皇御自ら行幸さて読経と神楽が繰返され、西大寺でも修法が行はれた。
 
 後宇多天皇は、学問と和歌にきはめてご熱心で、二条為世(公卿・歌人。歌道二条派の祖二条為氏の長男。極めた官位が権大納言だったので藤大納言とも呼ばれた)に二度にわたり「勅撰和歌集」撰進を命じられた。嘉元元年(一三〇三)の『新後撰和歌集』と元応二年(一三二〇)頃の『続千載和歌集』である。御自らも詠作され。『新後撰集』『続千載集』に多くの御製が収められてゐる。

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