2018年08月16日(木曜日)
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《ストップ・ザ・左翼政局》    共産系労組の月刊誌に登場した前川喜平 左翼的官僚に汚染される文部科学省   フリーライター・元文部科学大臣秘書官  鳥居徹夫

《ストップ・ザ・左翼政局》 
 
共産系労組の月刊誌に登場した前川喜平
左翼的官僚に汚染される文部科学省
 
フリーライター・元文部科学大臣秘書官  鳥居徹夫

 
🔶「明治日本の産業革命遺産」に抵抗した文部科学省
 
今年は明治150年であり、その3年前の平成27(2015)年に「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録された。
鎖国をしていた日本が開国し、西洋技術を取り入れながら、自国の伝統の技を融合させながら、自らの力で人を育て産業を興した。
ところが文部科学省や文化庁は、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録の申請要請に門前払いであった。
 
前文科事務次官の前川喜平や元審議官の寺脇研らは、「中国や韓国から反発を受ける」「文化審議会の審査対象ではない」などとコメントしている。
これらの判断は選挙で選ばれた政治家が行うことであり、官僚(事務方)の越権行為である。官僚・事務官の恣意的な価値観の押しつけは、かつての統帥権の独立を主張し議会政治を破壊したことからみても許されない。
 
そもそも韓国からの外圧や外交的配慮で、日本歴史の改ざんとか、日本国や日本人の名誉を貶められることがあってはならない。
戦時中の徴用について、あたかも強制労働であったかのように歪め、韓国は、日本国と日本人へのヘイトスピーチを繰り返している。
いわれなき外圧には政府全体で反論し対処していく体制づくりが問われていることは言うまでもない。
ましてや文部科学省が、韓国の対日プロパガンダの出先機関であってはならない。
 
日本は、ペリー来航から50年あまりで、近代的な産業国家を建設した。
人材の育成においても、松下村塾(山口県萩市)などが有名で、多くの指導者を輩出した。
海外の科学技術と自国の伝統の技を融合し、わずか50年あまりで産業化を成し遂げた日本の姿は、人類共通の遺産としてふさわしく普遍的な価値を持つ。
困難な時代でありながら、産業国家をとなった明治日本の重みを認識することは、歴史教育に欠かせない。
この「明治日本の産業革命遺産」の登録申請は、文部科学省や文化庁をはずし、内閣官房の枠組みで世界遺産登録の実現をみた。
 
🔶共産系の国公労連が、前川喜平のインタビューを掲載
 
前川喜平は、「加計学園の獣医学部設置」や「明治日本の産業革命遺産の登録申請」を安倍総理のお友達案件と吹聴し、政局にすることで妨害工作を展開した。
その前川喜平のインタビューが、共産系の国公労連の月刊誌に掲載されていた。
国公労連は、文部科学省や国立大学の職員組合など文部科学省関係労働組合協議会や、中央省庁や独立行政法人などの職員組合などで構成されている。共産系の労働団体の全労連に加盟しており、反共産の連合とは相いれない。(参考―農水省や国税庁などの職員組合は、連合加盟の国公総連)
その国公労連が発行している月刊誌『KOKKO』2017年12月号に、文部科学省の事務方トップであった前川喜平(前文科事務次官)のインタビューが掲載されている。
インタビューの中身は、「加計・森友のような不正、お友だち優遇案件はあちこちにある」と述べるなど、安倍政権への誹謗中傷のオンパレードで、その主張は左翼プロパガンダまがいであった。
(http://blogos.com/article/265959/?p=1)
 
🔶「児童の権利条約」を、「子ども…」も、と文部事務次官 
 
文部科学省は、前川・寺脇などのような左翼思想にかぶれた官僚が、跋扈している。
先に述べた明治日本の産業革命遺産の登録申請に対し、文化庁の担当官は「(当該施設のある三菱重工は)軍事産業だ。世界遺産なんてとんでもない」と門前払いであった。
 
日本は平成6(1994)年に「児童の権利に関する条約」を批准した。
この条約について、日教組や当時の社会党は「子どもを従来の保護の対象から権利の主体へと、子ども観のコペルニクス的転換がみられる」とし、条約名称も「子どもの権利条約」と呼ぶべきと主張した。
そして労働団体の連合に「子どもの権利に関する条約早期完全批准運動」を持ち込んだ。
これは、大人と同様の「主体的権利行使能力」を本能的に生まれながらにして持っているかのような子ども観であった。
 
これに対し連合内の民間労組は、極端な条約解釈と子どもを前面に立てた政治的運動は、条約本来の趣旨に反すると反発。さらにこの条約を、特定の政治目的に利用した「入口は子どもの人権、出口は日の丸・君が代反対運動」への歪曲や、徒党を組んだ(中国の文化大革命のときの)紅衛兵騒動の高校版、中学校版を煽動するかのような主張や運動は、国民の理解を得られないと猛反撃したため、条約早期完全批准運動は完全に瓦解。
さらには条約名称をめぐり「児童…」とするか「子ども…」とするかで連合内で紛糾し、日教組や旧総評は防戦一方となった。
この条約は、世界人権宣言(1948年)や児童の権利に関する宣言(1959年)、日本の児童憲章(1951年)の理念を継承し、その延長線上に位置づけられることから、連合の正式見解は「児童の権利条約」となった。
この攻防は、当時の左翼的な総評型国民運動の連合へのなだれ込みを、民間労組が阻止したものでもあり、日教組の完敗となった。
 
ところが、この日教組に助け船を出したのが文部省(現・文部科学省)であった。平成6(1994)年5月20日に発出した、坂元弘直文部事務次官による「児童の権利に関する条約について」と題する通知である。
文部次官通知は、条約名称について「児童のみならず子どもという語を適宜使用することも考えられる」というもので、連合内の民間労組は唖然とさせられた。
条約を主管する外務省はもとより、共管の厚生省(現・厚生労働省)や法務省も条約名称は「児童の権利条約」だけである。
「子ども…」も条約名称に使ってよいというのは文部省だけであり、日教組に配慮したのかと断じざるを得ない。
 
文部科学省の前身の文部省は、昭和20~30年代は日教組と対決姿勢が強かったが、いまはそのかけらもない。
文部官僚は、たしかに日教組セクト集団には拒否反応を示すが、日教組の反米左翼思想には、かなり毒されていると言わざるを得ない。
なぜなら文部官僚は、学校で日教組の教師に偏向教科書で教えられ、東大法学部で(宮沢俊義につながる教官に)憲法論を強制させられるなどして、知らず知らず左翼思想が染みつき、抜けないでいる。
 
たしかに左翼思想が染みつくのは他省庁の官僚も同じであるが、他省庁は社会常識が身についてくる。行政業務の対象は、学校とか大学といった閉鎖社会ではない。
ところが文部科学省の所管業務は、学校関係者や大学教官などが対象でもあり、文部官僚にとって彼らは、お友達でもあり、いわゆる仲間意識があるように思える。
「鯛は頭から腐る」というのは、まさに文部科学省そのものではないか。(敬称略)