2018年08月16日(木曜日)
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今こそ自衛隊を名誉ある国軍に   玉川博己(三島由紀夫研究会代表幹事)

今こそ自衛隊を名誉ある国軍に
 
玉川博己(三島由紀夫研究会代表幹事)
 

 今から48年前の昭和45年11月25日、三島由紀夫先生はあの市ヶ谷台上決起において、その最後の「檄文」の中で「自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。」と血の叫びで戦後日本の根本的な矛盾を訴えられ、憲法改正によって自衛隊を建軍の本義を持つ真の国軍たらしめる必要性を主張され、最後は壮烈な自決を遂げられたのである。
 
 ここ近年来政府与党が国会の議席の三分の二を獲得するに至ってようやく憲法改正の機運が醸成されてきたように見えるが、昨今の議論は憲法に自衛隊を明記することが最優先、自己目的化しており、肝心の自衛隊はどうあるべきか、という本質的議論が抜け落ちていると言わざるを得ない。
 
 とりわけ政府与党が進めようとしている、憲法9条第1項と第2項はそのまま維持して自衛隊保持を明記した第3項を追加する加憲改正案は、自衛隊と自衛隊員を発足以来悩ませてきた根本的矛盾をそのまま放置する弥縫策に過ぎない。あるいは自衛隊の代わりに実力組織を保有するという条文案も大同小異である。
 
 筆者の立場を明確にすると以下の通りである。
 
現行憲法はその条文の通り、如何なる武力の保持もまた国家の基本権利である交戦権も  否定している。現憲法は独立国家としての日本を否定している。そもそもこの憲法をつくったGHQの狙いが、日本を永遠に米国に刃向うことのない丸腰の奴隷国家の状態に置こうとしていたことは言をまたない。三島由紀夫先生は「憲法は日本国民に死ねと言っていることと同じ」と言われたが、正に至言である。
 
従って、陸海空の自衛隊は明らかに憲法違反の存在である。「芦田修正」美化論や「自衛のための組織は否定されていない」という長年の政府の説明は、苦し紛れの詭弁でしかない。もし自衛隊が合憲の存在であるならば、なぜいまだ日本国の象徴たる天皇による自衛隊の観閲や、統合幕僚長などの親任官待遇が実現しないのか。政府与党は長年自衛隊は合憲だといいながら、一方で自衛隊と自衛官が偏見と差別の中で苦しんできたことを見て見ぬふりをしてきたのではないか。
 
戦後日本の道義の頽廃は、憲法とそれと相反する自衛隊と日米安保体制の矛盾を日本国民が矛盾と自覚せずに、ずっと放置したままにしてきたことにその根源がある。
 
 自民党やその支持者による憲法9条の加憲改正論は「まずは自衛隊を条文に明記することに意味がある」、「これを風穴として今後の更なる憲法改正を目指すべきだ」という考えのようであり、保守・民族派の少なからざる人々が賛同しているとのことである。私はこれまで多くの加憲改正論者と議論をしてきたが、次のような私の疑問に正面から答えられる人はまだいない。すなわち
 
 
1. 憲法9条第2項を残したまま第3項に明記される自衛隊は、憲法9条第2項で保持が否定されている陸海空軍その他の戦力に当らないのか、当らないのであればどう違うのか?また別に検討されている実力組織を言う言葉であるが。実力組織と軍隊とはどう違うのか?
 
2. またやはり第2項で国の交戦権が明確に否定されている中で、防衛出動を下令された自衛隊が敵侵略軍と弾やミサイルを撃ちあうことは「交戦」に当らないのか?
 
3. 更に大事なことは、では自衛隊は世間一般常識における名誉ある軍隊なのか、自衛官は名誉ある軍人と遇されるのか?
 
 
 自衛隊は創設時には「戦車」と「特車」と呼び(さすがにその馬鹿さ加減からやがて「戦車」と呼ぶようになったが)兵科呼称は「歩兵」が「普通科」、砲兵が「特科」工兵が「施設課」とされ、巡洋艦や駆逐艦を護衛艦と呼ぶ。最近、共産党の「赤旗」紙上で「ヘリ空母いずも」という表記があったが、海自用語の「ヘリコプター搭載護衛艦」と言わずに「正しい表記」を用いた「赤旗」の方が軍事的見識があるとみるのは皮肉であろうか。
 
 何よりも自衛隊は昭和25年朝鮮戦争勃発に伴い、在日米軍が朝鮮半島の戦線に投入されたその穴埋めのために、マッカーサーの指令により警察予備隊として創設されたものである。名誉ある国軍としての建軍の本義も与えられず、なし崩し的に警察予備隊から保安隊、そして昭和29年に陸海空の自衛隊として改編され現在にいたる。政府与党は、自衛隊の任務は国民の生命と財産を守ることである、と主張する。しかしながら、単に国民の生命と財産を守るためであるならば、大きな警備保障会社や外国の傭兵に業務委託するとか、更にはただ生命を守るだけならば、それこそ日本が米国の51番目の州になるとか中国人民共和国の傘下に入って日本族自治区になれば血を流す必要もないという議論だって極論とは言えないではないか。
 
 三島由紀夫先生は最後の「檄文」において「国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。」と述べられ、更に「日本の軍隊の建軍の本義とは、『天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る』ことにしか存在しないのである。」と、正に日本国防の本質を端的明快に述べられている。
 
中国人民解放軍の建軍の目的が中国共産党とその支配体制を守り、あるいはその対外的膨張侵略を遂行することにあるのであれば、わが日本国軍の目的は、その侵略から祖国日本を守り、日本の歴史と文化と伝統、すなわち日本の国体を守ることであり、その根源は天皇に帰一することになるのである。政府与党の改憲論や国防論にはこの本質論が欠けているのである。
 
いまあらためて三島由紀夫先生の最後の「檄文」の精神に立ち返り、本質論的な憲法改正と自衛隊の名誉ある新国軍への再編強化を訴えたい。