日本への回帰
万世一系の天皇5
展転社編集長 荒岩宏奨
践祚後朝見の儀
日本国憲法下初の御代(みよ)替わりでは、剣璽等(けんじとう)継承の儀以外にも名称変更がなされている儀式がある。昭和から平成への御代替わりのときには、「即位後朝見(ちょうけん)の儀」が執り行われた。これは、天皇が即位後初めて三権の長に引見(いんけん)あそばされる儀式である。本来、これは「践祚(せんそ)後朝見の儀」という儀式であった。「践祚後」が「即位後」と変更されたのである。これにより、昭和から平成への御代替わりのときに「践祚」という言葉が消えてしまった。この原因は、旧皇室典範では「天皇崩ずるときは皇嗣即ち践祚し祖宗の神器を承く」とあったのが、戦後の皇室典範では「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う」となってしまい、皇室典範から「践祚」という言葉が消えてしまったことではないかと推測する。
昭和天皇が崩御あそばされたとき、葬場殿(そうじょうでん)の儀のあとに国家行事として執り行われた大喪(たいそう)の礼では、鳥居と真榊(まさかき)が撤去されたことは有名だ。しかし、剣璽渡御(けんじとぎょ)の儀と践祚後朝見の儀の変更についてはほとんど知られていないのではないだろうか。譲位による御代替わりが目前に迫った今、多くの国民に知ってもらう必要があると考え、少し話題がそれてしまったが触れた次第である。
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