2017年07月26日(水曜日)
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「強国に立ち向かった指導者  3人の弟が戦死したオラニエ公ウィレム1世」 佐波優子

強国に立ち向かった指導者 

3人の弟が戦死したオラニエ公ウィレム1世

 

ネーデルラントの苦悩 

 16世紀、今のオランダとベルギーがスペインの植民地で、ネーデルラントと呼ばれていた頃のことだ。この頃のネーデルラントは17つの州があり、南部10州と北部7州に分かれていた。南部は北部よりも進んでいて商業の中心地であるアントウェルペンがあり、宗教はカトリック。北部は農業と海上貿易を行い、宗教家はカルヴァン派の新教徒が多い。南部と北部は相当違いがあったが、ネーデルラントは自由と繁栄を享受した豊かな地域であった。

 そのような中、植民地ネーデルラントの統治を委ねられたのがスペイン王のフェリペ2世だった。フェリペ2世の統治は厳しいものだった。スペインの軍隊を駐屯させ、カトリック政策を強めた。カトリック教徒の多い南部はそれでもよかったかもしれないが、プロテスタントの多い北部には辛い政策だっただろう。プロテスタントへの弾圧に加え、強固な中央集権化を図ろうとしたフェリペ2世のやり方はネーデルラント全体の反感を招くこととなった。統治国スペインの圧政に対する抵抗運動は高まり、1568年、ネーデルラントの新教徒を中心にオランダ独立戦争が始まった。ネーデルラントとスペインの戦いである。

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