2017年10月23日(月曜日)
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西澤貞夫 つれづれ山河 第四十一回

1968年(昭和43年)に霞ヶ関ビルが完成をして、1980年から2012年に100m以上の建造物は日本国内に700棟以上あるとのことに、先人たちの『チカラ』のすごさを知らされる。東京や大都市ばかりか地方の駅前はミニ東京化している。固定電話に携帯電話に24時間の営業のコンビニと便利すぎる。昭和の時代に親父の誕生日にアーモンド入りのチョコレートを贈ったところ「このチョコには種がある」との礼電話にはほほ笑みをおぼえる。折におふくろから手紙で「国府津の親戚を訪ねるように」とのことで、東京駅で「こくふづまで下さい」と言うと「どこですか?」に手紙を見せて「こうづです」職場の先輩は、女房は日本人を選べ。車はドイツ製を。生活は洋式に。食事の3回のうち1回は中国料理にと教えてくれたが、間違ってはいない。心身鍛錬にと柔道を始めたが、練習に稽古はきびしく辛かったが、練習後の「黙想」は心を落ち着かせた。

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