shohyo「書評」

映画評『橋』(1959年 ベルンハルト・ヴィッキ監督)  三浦小太郎(評論家)

 この映画を観ていると、西ドイツ映画の「志」を強く感じる。第二次世界大戦末期、ある橋をめぐって、少年兵たちがほとんどむだな戦いを繰り広げ、ほとんどが戦死したという事実(体験者の小説が原作だ)をもとに、かの戦争を決して「ファシズム対民主主義」などという構図では語らせまいとする意志が全編を貫いているのだ。

 

 映画の主人公たちは、ドイツの小さな町に住む7人の少年である。映画の前半は、少年たちの日常生活が丁寧に描かれている。少年たちはボートづくりに精を出し、少女との淡い恋に落ち、また父の世代の偽善にも幼いながらの反抗を行う。それはどんな時代にも国にもありうる若い日の出来事に過ぎないが、当人たちにとっては真剣そのものなのだ。この映画の優れたところは、まず、たとえ戦時下であれ、このような日常はあり、子供も大人もその中で精一杯生きていたことを描き出していることである。

 

そして、映画の中の大人たちは、すでに敗戦を覚悟している。ある少年の父親はナチス党の地区幹部を務めているが、妻を田舎に疎開させ、自分は愛人と共に逃げようとしている。学校の先生は、まだ幼い子供たちを招集するのはあんまりだ、もしそうなっても、せめて安全な後方に配置してほしいと訴える。もちろん、そんな中でも毅然と、軍人の子として息子に、今は亡き父親の拳銃を与えて送り出す母親もいる。少なくともこの映画の中には、ナチスのイデオロギーを信じ、国家のために命を惜しまないといったステロタイプなドイツ人はほぼ出てこない。ナチスのイデオロギーは、少なくとも戦時下の日常を生きる人たちの中ではその力を失いつつあったのだ。

 

だが、子供たちは必ずしもそうではなかった。彼らはナチスのイデオロギーやスローガンは信じていなかった、というよりそれほど興味を持っていなかったのだが、召集され線上に行くことは、自分たちも大人として認められ、国家に尽くす立派な存在に成長することだった。兵員が不足していたドイツは、ついに、この少年たちにも召集令状を送る。彼らは様々な思いを込めながら軍に出頭した。

記事の続きは有料会員制サービスとなります。

2023年3月より新規会員は新サイトで募集しています。
こちらでご覧ください。

Yamatopress Web News

やまと新聞は日本人による日本のための新聞社です。
会費は月額350円(税込)です。全ての記事・コラムがご覧いただけます。

会員の方はこちら