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《教科書で教えたい近現代史-改訂版その3》 世界から裁かれる国際法違反の東京裁判。 鳥居徹夫 ( 元文部科学大臣秘書官 )  

極東国際軍事裁判(東京裁判)は「核の威力に勝利した勝者が、軍事的に敗北した国の指導的地位にあった人物を裁く」という茶番劇にすぎなかった。

アメリカの社会学者のH・ミアーズ女史は「東京裁判は正義ではなく、明らかなリンチだ。私たちアメリカがどうして日本を罰する事ができるのか? 私は理解できない。」と述べていた。

東京裁判は国際法違反の野蛮な復讐劇であった。弱肉強食の国際社会を肯定する「帝国主義」にほかならない

昭和261951)年5月3日、アメリカ上院軍事・外交合同委員会の公聴会で、マッカーサーは「過去100年に米国が太平洋地域で犯した最大の政治的過ちは共産勢力を中国で増大させたことだ。次の100年で代償を払わなければならないだろう」とも語った。これは「米国は戦う相手を間違った。真の敵は日本ではなくソ連や中国共産党だった」と言っていることに等しい。

実際、中国大陸で治安の良いところが、満州と汪兆銘政権、そして世界各国の中国内の租界地で、治安の悪いところが延安、重慶。

それは、日本はアジアの警察官であったからである。

その警察官の役割を、日英同盟の破棄を迫るなどの謀略によって、追い落としをはかり成功したのが欧米諸国と蒋介石の国民党、そしてソ連であり中国共産党であった。

日本がアジアの警察官でなくなった大戦後70年間、アジアは共産中国、北朝鮮などの覇権主義に翻弄されている。実際、アメリカもその対応に苦しんでいる。

 

 🔸東京裁判は茶番、共同謀議の証拠すらなかった 

キーナン検事ら戦勝国の検察側は、日本が昭和3(1928)年1月1日から昭和20(1945)年9月2日までの間、一貫してアジアを侵略して支配下に置くための陰謀を企て、その謀議に沿って満洲事変、シナ事変、大東亜 (太平洋)戦争を引き起こしたのだと主張し、これが裁判の最も重要な焦点となった。

そして、この「共同謀議」をした犯人として軍人、閣僚など28人を起訴し、これを「A級戦犯」と呼んだ。

ところがこの28人は思想も信条もバラバラで、お互い会ったこともない人までいた。つまり「共同謀議」は成り立たないのである。

実際、その17年間に18回も政権は交代しており、ドイツが延々と続いたヒトラーの独裁政権下で謀議を重ねたのとは全く違う。

東条英機内閣ですら、議会の反発を受けて総辞職に追い込まれている。当時の日本は国会が機能しており、あくまで憲法に基づいてリーダーが選ばれていたのであり、「共同謀議」など皆無であった。

ところが東京裁判法廷はこんなに明らかな証拠を無視し、被告を強引に「有罪」として7人を絞首刑、16人を終身禁固刑、2人を有期禁固刑に処した。また前後して7人が獄死、刑死者と獄死者の14名が靖国神社に合祀された。

 

  🔸「いわゆる戦犯」の名誉は回復されている

このマッカーサー証言だけではなく、東京裁判(極東国際軍事裁判)の裁判官であったインドのパール判事も、「一方的な侵略戦争とは断定できない」「戦争の責任を個人に求めることは妥当ではない」「裁判官が戦勝国出身者のみで構成」などと裁判の不当性を訴え、日本無罪論を展開した。

国際社会を普遍的な法の下に秩序づけなければ、戦勝国の復讐やリンチがまかり通る弱肉強食の世界となる。

かつて民主党代表であり内閣総理大臣であった野田佳彦氏は、平成17(2005)年1017日に「戦犯に対する認識と内閣総理大臣の靖国神社参拝に関する質問主意書」を提出し、次のように指摘した。

野田氏が疑問を投げかけたのは、極東国際軍事裁判で戦争犯罪人の汚名を着せられた「いわゆるA級戦犯」の名誉と、極東国際軍事裁判に関わる認識である。

(1) 極東国際軍事裁判に言及したサンフランシスコ講和条約第11条ならびに、それに基づく衆参合わせ4回におよぶ国会決議と関係諸国の対応によって、A級・B級・C級すべての「戦犯」の名誉は法的に回復されている。「A級戦犯」と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではない。

(2) 極東国際軍事裁判で「A級戦犯」として裁かれた人々に関して、その人々の法的地位を誤認し、また社会的誤解を放置しているとすれば、それは「A級戦犯」とされた人々の人権侵害であり、内閣総理大臣の靖国神社参拝への合理的な判断を妨げるものとなる

ちなみに国会でも次の決議が、満場一致で採択されている。

昭和27年6月9日、参議院本会議「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、

昭和2712月9日、衆議院本会議「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」

昭和28年8月3日、衆議院本会議「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」

昭和30年7月19日、衆議院本会議「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」

サンフランシスコ講和条約第11条の手続きに基づいて関係11カ国の同意のもと、「A級戦犯」は昭和31年に、「BC級戦犯」は昭和33年までに赦免され釈放された。刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念である。

にもかかわらず「日本はサンフランシスコ講和条約第11条で裁判を受諾したのだから、東京裁判を尊重する義務がある」との主張すらある。

ところが実際の「サンフランシスコ講和条約第11条」の条文は「Japan accepts the judgements……(日本は諸判決を受け入れる)」とあるだけで、「裁判」そのものを受け入れたわけではない。

死刑の判決は、受諾し執行されたが、冤罪であったことが、後でわかった。

この東京裁判で、禁固7年の有罪判決を受けた重光葵(開戦時の外)は、釈放後に再び外務大臣(副総理兼任)になり、昭和31(1956)年、日本の国連加盟式典に代表として出席した。重光葵外務大臣は、そこで国際社会復帰の声明文を読み上げた。そして万雷の拍手で迎えられた。戦勝国に「A級戦犯」とされた重光葵が、戦勝国が作った「国際連合」の場で大歓迎されたのである。

この「A級戦犯」を副総理兼外務大臣に起用した総理大臣は鳩山一郎。あの「A級戦犯を合祀した靖国神社の首相参拝」に大反対した鳩山由紀夫の祖父である。

死んだ後まで「戦争責任」を問われ、靖国神社から分祀せよと言われた「旧軍人」も、外務大臣として国際舞台に復帰して握手攻めにあった重光葵も「いわゆる東京裁判ではA級戦犯」であった。

これこそ「A級戦犯」という概念がデタラメだったと言うことにほかならず、まさに「東京裁判」なるものの本質を如実に表している。

日本が悪いという罪悪感を意識づける人身御供として、国際法違反の軍事裁判で戦争犯罪人とされた不当な裁判であった。国の大事に殉じた戦死者と同様に、靖国神社に祀られるのは当然である。東京裁判は、野蛮な復讐のための見せしめでしかなかった。

 🔸世界の識者が見た東京裁判 《東京裁判関係者》

●ダグラス・マッカーサー (アメリカ 連合軍最高司令官)

日本は、絹産業以外には、国有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。

もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。(195153日、米国議会上院の軍事外交合同委員会の答弁にて『東京裁判 日本の弁明』)

 

●ベルト・ファン・A・レーリング判事 (オランダ 東京裁判オランダ代表判事)

国際裁判所が、正義に基づいて処罰を求められているにもかかわらず、自ら正義の法理を適用しているか否かを審査する機能や義務さえ与えられないで、単に戦勝国の最高司令官の定めた法規を適用しなければならない。かようなことを本裁判所が認めるとすれば、それは国際法のためにこのうえなく有害なことをしたことになるだろう。(『勝者の裁き』)

 

●C・A・ウィロビー将軍 (アメリカ GHQ参謀第二部長)

この裁判は歴史上最悪の偽善だった。こんな裁判が行われたので、自分の息子には軍人になることを禁じるつもりだ。・・・・・・

〔なぜ東京裁判に不信感を持ったかと言えば〕日本が置かれていた状況と同じ状況に置かれたならば、アメリカも日本と同様戦争に訴えていたに違いないと思うからである。

(東京裁判終結後、離日の挨拶に訪れたレーリング判事に対する言葉・ベルト・ファン・A・レーリング 『The Tokyo Trial and Beyond』より)

 

●ウエッブ (オーストラリア・極東軍事裁判の裁判長)

私は日本が9000万人の住む小さな土地で耕作出来る面積はそのうち15パーセントにすぎず、外部から激しい貿易制限や規制を受けていたとの弁護士の論述に多くの正論と酌量の余地を認めた。私は米国なり英国なりが同じ様な状況におかれたらどのように反応したか、それどころか国民がどのような反応をすることを望んだかを考えてみた。米国も英国も日本が1941年におかれたような状況におかれれば、戦争に訴えていたかも知れないのである。(天皇の陰謀』)

 

●ベン・ブルース・ブレークニー(アメリカ 東京裁判弁護士)

原子爆弾という、国際法で禁止されている残虐な武器を使用して多数の一般市民を殺した連合国側が、捕虜虐待について、日本の責任を問う資格があるのか。

 

●ラダ・ビノール・パール (インド 極東国際軍事裁判判事)

時が、熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら、過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求するであろう。

 

●ラダ・ビノール・パール (インド極東国際軍事裁判判事)

欧米諸国は日本が侵略戦争を行ったと言うことを歴史にとどめることによって、自らのアジア侵略の正当性を誇示する目的があったに違いない。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈・退廃に流れていくのを私は平然と見過ごす訳にはいかない。誤られた彼らの宣伝を払拭せよ。誤られた歴史は書き換えられなくてはならない。日本は国際法に照らして全被告は無罪である。

 

《政治家ほか》

●ハーバート・フーバー (アメリカ 元大統領)

もしわれわれが日本人を挑発しなかったならば決して日本人から攻撃を受ける様なことはなかったであろう。(『東京裁判 日本の弁明』)

 

●チャールズ・リンドバーグ (アメリカ 飛行家、大佐)

ドイツ人がヨーロッパでユダヤ人になしたと同じようなことを、われわれは太平洋でも日本人に行ってきたのである。・・・・・・

地球の片側で行われた蛮行はその反対側で行われても、蛮行であることには変わりが無い。

『汝ら人を裁くな、裁かれざらん為なり』。

この戦争はドイツ人や日本人ばかりではない、あらゆる諸国民に恥辱と荒廃とをもたらしたのだ。(リンドバーグ第二次大戦日記())

 

●エドウィン・O・ライシャワー博士 (アメリカ・元駐日大使、ハーバード大学教授)

軍事法廷はかく裁いた。だが歴史はそれとは異なる裁きを下すだろうことは明らかである。(『将軍の裁判 マッカーサーの復讐』日本版裏表紙に寄せた文章より)

 

●毛沢東(中国 共産党主席)

〔昭和39(1964)年、社会党の佐々木更三委員長が、毛沢東主席に「中国国民に多大の損害をもたらして申し訳ない」と挨拶したところ〕

何も申し訳なく思うことはありませんよ、日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではないですか。皆さん、皇軍の力なしには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう。(「毛沢東思想万歳」() )

 

●鄧 小平 (中国 共産党副主席)

日本は中国を助けたことになっている。・・・・・・日本が蒋介石を重慶まで押し下げてくれたので、我我は日本軍の占領地域の後方に広がった。・・・・・・皆さんだけを責めるのは不公平だと思う。(中国との友好交流二十年の感想」三岡健次郎1995630日 中国政経懇談会)

 

●K・R・ナラヤナン (インド 大統領)

パール博士の有名な反対判決は、勝者側の偏狭なナショナリズムと政治的復讐とを退け、それよりも平和そして国家間の和解と親善のために努力すべきことを説いた、感銘深い呼びかけでありました。また、そのように行動されたことにより、インドと日本との友好と理解のシンボルとなったのであります。(19971016日 京都のパール博士顕彰碑建立の際に寄せたメッセージ)

 

《法律専門家・学者》

●プライス (アメリカ 陸軍法務官)

東京裁判は、日本が侵略戦争をやったことを懲罰する裁判だが、無意味に帰すからやめたらよかろう。なぜならそれを訴追する原告アメリカが、明らかに責任がある。ソ連は日ソ中立条約を破って参戦したが、これはスターリンだけの責任でなく、戦後に千島、樺太を譲ることを条件として、日本攻撃を依頼し、これを共同謀議したもので、やはり侵略者である。日本を侵略者呼ばわりして懲罰しても精神的效果はない。(194512月のニューヨーク・タイムズ紙にて『東京裁判の正体』)

 

●カール・ヤスパース (ドイツ・哲学者)

私はどう考えても、一つの民族だけが、戦争の責罪を負わなければならない義務はないと思う。《自分には罪はない》などというのは、薄っぺらで、ごまかしの道徳意識だ。これこそひとりよがりというものだ。その証拠には、彼らはすでに、次の戦争の準備をし、これを促進しているだけではないか。 ・・・・・・

いっそ明白なる暴力の方がましである。その方が正直で我慢しやすい。そこに存在したものは戦勝国の強権ばかりであった。それは人類の将来の平和のために、無益なばかりか、きわめて有害な存在となった。(『戦争の責罪』)

 

●ジョージ・フリードマン教授 (アメリカ ディッキンソン大学)

まともで教育のある人びとがなぜパールハーバーを攻撃する道を選んだのか。こういうことを理解せずに、ただそれを非難する人びとがいる。彼らこそがもっとも戦争を起こしやすい人びとなのだ。当時の日本の指導者たちをモンスターにしたり、日本の置かれた悲劇的な立場を考えもせずに発言する人びとを英雄視したりしても、何の解決にもならない。解決どころか、このような態度そのものが問題なのだ。(パールハーバーを忘れるな」『VOICE199112月号)