kokutai「日本への回帰」「揺るぎなき国体」

日本への回帰 敬朝愛国のみことのり 展転社代表取締役 荒岩宏奨

 わが国で「愛国」といふ用語が登場したのは、文献上では『日本書紀』が初出である。

 百済の役で朝鮮半島に出兵した人物に大伴部博麻(おおともべのはかま)といふ兵士がゐた。彼は、斉明天皇7年(661)に出兵したが、捕虜となってしまった。捕虜とはいへ、拘束されるわけではなく、自由に動くことができたやうである。

 天智天皇3年(664)、大伴部博麻と土師連富杼、氷連老、筑紫君薩夜麻、弓削連元宝児は、唐で日本に対する不穏な動きがあることを察知した。そこで、何とかして帰国して、朝廷にこのことをお知らせしなければならないと思った。ところが、この5人には帰国できるほどの物資も資金もなかったので、お知らせできないことを憂ひてゐた。そこで、大伴部博麻は他の4人に「唐での不穏な動きを朝廷にお知らせするために、私も君たちとともに帰国したいのだけれども、物資も資金もないのでそれはできない。そこで、私の身を奴隷として売って、帰朝のための資金としてもらいひたい」と言ふ。

 4人は大伴部博麻の言葉にしたがひ、大伴部博麻を奴隷として売り資金を得て帰国し、朝廷に唐の不穏な動きをお知らせすることができたのである。

 その後、大伴部博麻は1人だけ唐に残され、30年もの間、帰国できなかった。そして、持統天皇4年、大伴部博麻が新羅の使ひである金高訓らに従って、筑紫に帰国する。

 この功績に対して、持統天皇は次のみことのりを発せられてゐる。

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