shohyo「書評」

谷干城が語った「平和」と「人権」 三浦小太郎(評論家)

西南戦争時に熊本城を西郷軍の猛攻から死守した谷干城の名は、日本史に興味のある人ならば誰しも知っていることだろうが、谷がそれ以後政治家として、日清、日露戦争に反対したことは意外と知られていないのではないか。しかも谷は、日清戦争が日本側の勝利に終わった後も、講和条約の際、将来の日清両国民の友好感情を確保するためには、『領土割譲』の要求をしない無併合原則の必要なことを力説し、とくに清朝に縁故の深い遼東半島の要求には強く反対した。

 

さらに谷は、列強が干渉し、日清戦争によって日本が得た領土の返還を求めた時に、伊藤に対し直ちに要求を受け入れるしかない、かつ、日本国内の「無責任なる民党の対外強硬論者を武力弾圧してもやむをえない」と主張いている。

 

谷は、当時の日本は対外戦争や列強との外交対立などは原則避けるべきだと考えていた。いまだに日本国の国力でそのような冒険主義に走るのは危険すぎる。対外的には平和外交、国内的には斬新的な改革を指向し、国力を高め、社会の安定化をまず目指すべきだというのが谷の政治的信念だった。これは、旧幕府の開明的な知識人層の発想に近く、例えば勝海舟などとの共通性を感じさせる。谷が坂本龍馬をもっとも尊敬していたことと考え合わせると興味深いものがある。

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