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「昭和天皇の全国巡幸」 村田春樹(今さら聞けない皇室研究会顧問)

前号では昭和二十年八月十五日午後の皇居前広場の国民の慟哭について述べた。さて終戦直後の全国巡幸について語ろう。この巡幸は天皇の強い要望で実現したもので「戦後の戦災復興状況及び一般民情視察」という目的であったが、要は打ちひしがれた国民の慰撫激励の旅であった。

この行幸開始に先立ち以下の方針が定められた。一,従来戦前の行幸と異なり、皇室財産が殆ど失われたこと、全国全ての都道府県に行幸されるという強い御意向を踏まえて、従来のような賜物は廃止。二、民業に支障を来たさぬよう特別の制限を行わない。三、交通も整理程度にとどめる 四、可能な限り奉拝の機会を増やし民衆と接する機会を増やす、ご下問には直接の奉答を許す。五,天皇は平服。 六,地方長官(知事)の概況奏上は事前に皇居にて行い、当日は極力民衆との接触に時間を割く。七、行幸先の便殿(休憩所)は極力現地の調度品だけで済ませ、従来のように皇居から持参しない。八、随員や車列を簡素化する。九、新聞記者の写真撮影は自由。これを見ると戦前の行幸がいかに大変なものだったかがわかる。

さて昭和二一年二月一九日、一連の巡幸の嚆矢として神奈川県下への行幸がなされることになった。当日お車で皇居をご出発、川崎市扇町の昭和電工の工場を視察された。この工場庭の天幕内での社長や川崎市長の説明の模様は、NHKにより録音され翌日全国放送された。その後横浜の日産自動車工場、神奈川県庁、戦災者共同住宅にて罹災者にねぎらいのお言葉をかけられた。

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