pet「マリの喫茶室」

マリの喫茶室(84) 学校うさぎは虐待だ

【学校うさぎは虐待だ】

子どもの頃、学校でうさぎを飼っていた人は多いのではないか。

しかし、最近、学校で飼ううさぎが減ってきている。

とてもいいことだと思う。

 

学校でのうさぎ飼育環境は劣悪極まりない。

汚い、寒い、暑い、食べ物もろくすっぽない、新鮮な水も与えられない、病気になっても病院で診てもらえない。

子どもの頃は学校うさぎの飼育実態など気にもしなかったが、うさぎを飼うようになって初めて学校うさぎの劣悪な環境が分かってきた。

かわいいだけではうさぎは飼えない。

学校うさぎは、「動物虐待」にほかならない。

 

そもそも、土日、祝日に加え、夏休み、冬休み、春休みと学校は休みが多い。

その間に、誰がうさぎの面倒をみるのか。

 

夏休み中、子どもが順番でうさぎを家に持ち帰って、たらいまわしにしたとか、先生が仕方なく時々やってきてえさをあげた、などというてきとうな飼育の結果、餓死したうさぎ、熱中症で死亡したうさぎ、病気になっても獣医にみせる予算がないため死んでしまったうさぎ、といった「うさぎ残酷物語」が当たり前のようにおきている。

 

【文部化科学省のきれいごと】

にもかかわらず、文部科学省は、

「生き物への親しみをもち生命の尊さを実感するために、継続的な飼育を行うことは大きな意義がある」(小学校学習指導要領解説より抜粋)という極めて観念的なきれいごとで「学校うさぎ」を肯定している。

もし、本当にそう考えているならば、うさぎの飼育員をおき、うさぎの餌代と病院代の予算を配布すべきでしょう。

文科省には、教材としてのうさぎという考え方しかなく、同じ生き物としてのうさぎという考え方が全くない。

 

【子どもにとっても逆効果】

飼育したいなら自宅で飼え

触れ合いたいだけなら、動物園の「触れ合い広場」に行け。

 

教育という名目でうさぎの命を粗末にするのは、子どもにとってもよくない。

もし、かわいがっていたうさぎが、劣悪な環境で死んだら、子どもにとっても心の傷となるでしょう。

 

【我が家のマリの場合】

うさぎのマリは、今、12歳6か月になる。

ネザーランドドワーフの寿命が6年程度なので、普通のうさぎの倍生きていることになる。

長寿は、もちろん生来マリのもつ丈夫さ、マイペース(マリペースと呼んでいる)の性格によるところが大きいと思うが、私の健康管理、家の中で自由に歩き回れる飼育環境も大きいと自負している。

しかし、今年に入って、最近の1か月で、マリは急速に年をとってきた。

 

毎日、ころんで起きれなくなる。そのたびに助けおこしている。

ケージの段差が超えられなくなった。スロープをつけても最後のちょっとした段差が超えられなくなったので、一昨日、ついにケージを撤去した。我が家にきてから、12年間毎日使っていたケージ、いわばマリのおうちがなくなった。

 

食べる量も減った。

始終お腹を壊している。

走るのもよたよたしている。

 

それでも、マリは老いを受け入れ、自分にできることをやり、一生懸命生きている。。

飼い主である私がマリの老いを嘆いたら、マリも悲しくなってしまうかもしれない。

 

私は私にできることをやり、マリを最後まで幸せうさぎとして育てていく。

毎日、ビオフェルミンをシリンジで飲ませ、おしりにプロペトを塗り、目薬をさし、身体を清潔に保ち、糞尿をきれいにし、おやつを生の果物からドライフルーツに変えた。

 

正直、結構大変である。

しかし、マリには長生きしてほしい。

生き物を飼うというのは、そういうことだと思う。

限りある命をいとおしみ、責任をもって育てることだと思う。

 

(まだ元気だった1年前 11歳)