nihonkyousantou「日本共産党の実態」

【日本共産党の暴力革命は不変 日本共産党の虚偽主張にだまされない】 安東幹(共産主義研究家)

 日本共産党には、「51年綱領」というものがある。1951年10月に、日本共産党第5回全国協議会された綱領『日本共産党の当面の要求-新しい綱領』のことである。

 武装闘争で、アメリカや日本の資本家勢力と戦い、人民革命を成し遂げなければならないという方針である。爆弾製造法などの地下文書が出回り、地主や金持ちらへの襲撃事件が相次ぎ、警察官などへの殺害暴力事件が多発した。

 これに対して、現在、日本共産党は、51年綱領は、分派によって作成されたのもので、日本共産党の正式な綱領ではないし、綱領にそって行われた武装闘争、暴力事件は党と関係ないと主張している。しかし、虚偽情報である。日本共産党の暴力革命の方針は不変である。だまされてはいけない。

 

 歴史的経過は以下である。

 1922年、世界初の共産主義国であるソ連が成立。最初は、世界中の共産主義政党は団結し、コミンテルン(世界中の共産主義運動を指導する組織。実質、ソ連共産党の指導)の下に活動した。アメリカや中国など、世界各地で、大きな共産党が組織され、影響力を持った。各国の共産党は、コミンテルンからの資金援助を受け活動した。それ以外にも、銀行強盗ややみ取り引き、会社乗っ取りなどの手段で資金を得、活動した。日本共産党も例外ではなかった。

 太平洋戦争が終わり、戦後日本を一時的に統治したマッカーサーを首班とするGHQ
連合国最高司令官総司令部により、日本共産党は活動の自由を得、選挙で議席を持つようになった。しかし、中国、東欧で次々と共産主義国が誕生する中、GHQは、日本の統治政策を変更、日本共産党を取り締まることにした。東欧では、チトー率いるユーゴスラヴィア(現在のスロベニア・クロアチア・セルビア・モンテネグロ・ボスニアヘルツェゴビナ・コソボ・マケドニア)が、ソ連を中心とする共産主義ブロックに入らずに、非同盟中立国を目指すことを決定。日本共産党も、ユーゴスラヴィア共産主義国のように、非同盟中立の共産主義国家の実現を目指すのではないかと論評された。当時の指導者である徳田球一、野坂参三らは、議会選挙による平和革命を唱えていた。

記事の続きは有料会員制サービスとなります。

2023年3月より新規会員は新サイトで募集しています。
こちらでご覧ください。

Yamatopress Web News

やまと新聞は日本人による日本のための新聞社です。
会費は月額350円(税込)です。全ての記事・コラムがご覧いただけます。

会員の方はこちら