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「可憐なウクライナをロシアのプーチンが攻めていると思ってはならない」 西村眞悟

 本年二月二十四日、ロシア軍が、ウクライナの北と東と南の三方向から、戦車と航空機を雪崩れ込ませて勃発した「ウクライナ戦争」は、既に十ケ月に及んで、ウクライナとロシアは極寒期を迎えようとしている。そして、戦場は、もっぱらウクライナ東部に限定されてきている。

 しかし、開戦前夜の二月初旬、アメリカの軍事専門筋は、ロシア軍がウクライナに軍事侵攻を開始すれば、ウクライナの首都キーフ(キエフ)は、二・三日で陥落すると世界に流していた。

同時に、バイデン大統領は、ウクライナ軍の軍事顧問としてウクライナに駐留しているアメリカ軍部隊に撤退命令を発するとともに、ウクライナに滞在するアメリカの民間人に対して、二月十一日から二・三日中にウクライナから退去するよう呼びかけた。そのうえでバイデン大統領は、もしウクライナから退去していないアメリカ人がいても、その救出の為にアメリカ軍をウクライナの戦場に送り、アメリカ青年の命を危険にさらすようなことはしないと公言した。

また、現実に、ロシア軍がウクライナに侵攻を開始した時、ウクライナのゼレンスキー大統領は、二・三日で陥落すると軍事専門筋が言っていた首都キーフから、昂然と世界に向かって、今こそ、世界各国はウクライナを支援しなければならないと要求した。

 このアメリカ軍事専門筋の二・三日で首都キーフ陥落との情報発信と、アメリカ大統領バイデン氏の軍と民間人に対するウクライナからの早期撤退要請は、今となっては、ロシアに対して、速くウクライナに侵攻せよという煽りではなかったかと思われる。また、ロシア軍の侵攻開始から二・三日で首都キーフが陥落するならば、ロシア軍の侵攻が開始されてから、ウクライナのゼレンスキー大統領が、首都に於いて昂然と世界に軍事的支援を要請できるはずはない。

よって、アメリカは、ロシアのプーチン大統領を煽ってウクライナに侵攻させたうえで、世界にロシア非難の論調を造成しているのではなかろうか。現在(十一月十六日)、インドネシアのバリ島で行われている20カ国・地域首脳会議(G20)は、ロシアのウクライナ侵攻後、主要国や新興国の指導者が集まる初めての国際会議であるが、そこで、アメリカ主導で、ロシア非難の首脳宣言発出の調整が行われているとの報道に接し、改めて、アメリカの「いつもの癖・騙しの手口」を思い出した。

そこで、このウクライナ戦争から連想する歴史的事例を三つばかり挙げて、バイデン民主党政権による国際世論操作に注意を喚起しておきたい。

 

そもそも、現在のロシアのプーチン大統領の行動を、自らの体験に鑑み、最も共感をもって理解できるのはアメリカ大統領ではないか。

昭和三十七年(一九六二年)二月、キューバは米州機構から離脱して、ソビエトと軍事協定を結んだ。そして、ソビエトはキューバとの協定に基づき、キューバに兵員と戦車と核ミサイルを送り込んだ。

同年十月、アメリカの偵察機がキューバに核ミサイル基地が建設されているのを察知するや、ケネディー大統領は最大強度に次ぐ「デフコン2」を発令し、キューバを海上封鎖し、核搭載の戦略爆撃機B52の一群を二十四時間空中待機させ、他のB52の一群を滑走路待機させた上で、核戦争も辞さずとの強硬姿勢を示して、ソビエトにキューバからの核ミサイルの撤去を要求した。このケネディー大統領の強硬姿勢に、米ソの核戦争勃発の緊張が極度に高まったが、ソビエトのフルシチョフ書記長が、キューバからの核ミサイルの撤去を決断して事態は収拾された。

キューバはアメリカの喉元に位置する。ここに核ミサイルが配備されれば、アメリカは喉元にナイフを突きつけられた状態になる。従って、国際世論はケネディー大統領の措置に理解を示し是認した。

この度のロシアのプーチン大統領は、ウクライナが軍事機構ではないEU(欧州機構)に加盟することに関しては「われわれに何の異存もない」と是認している。しかし、NATOは軍事組織であり、そこにウクライナが入るということは、ロシアの喉元にNATOの核がくるということで、アメリカのケネディーと同様にロシアのプーチンも、それを拒絶しているのだ。

現在のバイデン大統領は、ケネディーを知らないのか。それともバイデン政権に返り咲いたネオコンに操作されるに任せて痴呆を決め込んでいるのか。

 

民主党のバイデン氏が尊敬している民主党のF・ルーズベルト大統領は、前任者のフーバー大統領から「戦争を欲する狂人」と言われた御仁だ。

彼は、昭和十四年七月、日米通商条約を破棄し、アメリカからの石油や鉄という戦略物資に頼っていた日本を苦しめたうえで、海軍作戦部長ハロルド・スターク海軍大将に対し、「日本に対する石油を全面的に禁輸すればどうなる」と諮問した。

この諮問に対して、スターク作戦部長が、「確実に日本との戦争になります」と答えるのを聞いてから、F・ルーズベルト大統領は、昭和十六年八月一日、日本に対する石油全面禁輸措置を発令した。そして、同年十二月八日、日本帝国海軍が真珠湾を奇襲攻撃するや、「してやったり!」と内心思いながら、「騙し討ち」と激高して日本を非難し、アメリカ国民の対日敵愾心を煽り対日戦争と対独戦争にアメリカを突入させた。

バイデン大統領は、この「戦争を欲する狂人」といわれたF・ルーズベルト大統領の手法に倣い、ウクライナのゼレンスキーをけしかけてNATO加盟の方向に走らせて、ロシアのウクライナ侵攻を招き寄せたのではなかろうか。つまり、バイデンは、政権内のネオコンの思惑通り、ロシアの国力を削いでプーチンを斃してアメリカの一局支配を目指す「狂人」なのか。

最期に、ウクライナのゼレンスキーを見ていて思い出すのは、中国国民党の蒋介石である。彼は、日華事変以降、日本軍と正面から戦っては勝てないので、重慶に逃げ込んで徹底抗戦の姿勢を示し続けた。

何故なら、日本と戦う姿勢を続けてさえおれば、アメリカから膨大な支援物資を受け取れて、浙江財閥の娘である嫁も喜ぶからだ。ロシア軍のウクライナ侵攻と同時に、昂然と世界に対して援助を要求したゼレンスキー大統領の態度を見て、強い違和感を抱き、蒋介石を連想した次第である。