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【コラム】モノにも命が宿ると考える和の魂

 ※イメージ画像

 

まだテフロン加工が新しいフライパンと鍋。先日、台所を整理した際、迷いながらも泣く泣く不燃ごみに出した。

 

捨てたフライパンと鍋は我が家で最も新しい部類だったが、四角形であることと、取っ手が付いていたために保管するスペースが無駄となり、邪魔だった。取っ手の脱着可能なフライパンや鍋のシリーズを購入し、台所の省スペース化を断行したこともあり、既存の台所器具が不要となった。

 

厚みや耐久性だけ見れば、廃棄したフライパンや鍋はまだ10年以上は活躍できる。後ろ髪を引かれる思いで廃棄したので出勤する際、廃棄エリアを名残惜しい思いで一瞥した。すると、ごみの回収時間にもなっていないのに、自分が廃棄したフライパンと鍋だけが跡形もなく消えていた。想像するに、通り掛かりの近所の人が「まだ使えるのに勿体ない」と持ち帰ったのだろう。

 

自分にとっては何の益もない廃棄後の出来事。しかし、何か憑き物が落ちたような、すっきりとした気分になった。なぜだろうか。 器具メーカーの人が作った立派な商品。最後の寿命まで見届けることなく「殺処分」を決めた自分に対し、罪悪感を抱いていたのである。物にだって寿命がある。八百万の神を信奉する日本人ならではの価値観かもしれないが、自分の中にもたぶんそんな神道の信念は生きているのだろう。

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