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【コラム】戦後政治史に巨大な足跡を残した安倍晋三氏

※首相時代の安倍氏

 

安倍晋三元首相(67)が凶弾により帰らぬ人となった。

 

日本政治は太政官制度から内閣制度に移行した1885年以来、これまでに101代64人の内閣総理大臣を輩出してきた。計5回の内閣発足を行った吉田茂を始め、複数回政権を発足した総理大臣は何人もいるが、通算在職日数8年を超える3188日に及んだ安倍氏は、2886日の桂太郎を抑えて歴代最多の在職期間となった。安倍政権の発足は4次に及び、改造を含めた組閣は計11度で、憲政史上最多記録である。

 

戦前と異なり、国内外の情勢変化や情報氾濫が著しい昨今、民衆の支持を保ち続けることは大変に難しい。政権維持のために最も安全な方法は、万人から大きな反発を喰らわない中道路線であり、争点となる課題には手を出さないこと。現在までの岸田政権はそのような傾向で安全運転を続けているともいえる。

 

戦後最年少で首相に就任した安倍氏の場合、第一次政権を発足した2006年9月からの1年間は勢いに任せた政権運営ともいえた。核実験を行った北朝鮮に対し、厳しい経済制裁を実施。懸案だった教育基本法改正と防衛庁の省昇格を実現するなど、前に進める政治を貫いた結果、左翼系のマスコミや国民から強い批判を浴び、自身の体調を壊す結果となり、退陣を余儀なくされた。

 

通常であれば、この時点で政治家としての威厳は潰え、党内でキングメーカーとして地盤を築く段階に入るはずである。ところが、まだ若かった安倍氏には残された時間も、働き盛りの同志も多かった。第一次の政権運営を世間は批判的に捉えたが、政策通のウォッチャーの中には1年間で多くの成果を成し遂げたことに着目し、標榜した「政策実行内閣」「美しい国」に見合うだけの働きをしたと評価する人も少なくなかった。

 

安倍氏が第二次政権を担当するのは、民主党政権からの歴史的大勝を勝ち取り、政権奪取した2012年12月の総選挙後である。9月に行われた総裁選では1回目の投票で中道左派の石破茂氏に敗れるも、決選投票で逆転し、党総裁に返り咲く。その勢いを駆って、党首討論で当時の野田佳彦首相に解散総選挙を約束させた結果、安倍第二次政権が発足されると、異次元緩和を主軸としたアベノミクスや平和安全法制、通信傍受法改正など、経済や安全保障面での脆弱さを補完するための政策を果断に実行。(リベラル)左派を敵に回しながらも説明責任を果たすことで、変化を嫌う国民への理解を勝ち得てきた。

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