the-diet国会

沖縄県祖国復帰50年を迎えて、今後の日本と国際社会のあり方を考える 川井 正彦(一般社団法人社会問題研究会 代表理事)

令和4年5月15日を迎えるにあたって、私の知人である沖縄の仲村覚氏(一般社団法人 日本沖縄政策研究フォーラム 理事長)より、沖縄県祖国復帰50周年に関する貴重な記事が送られてきた。

その記事とは、令和4年5月19日のやまと新聞に掲載されている記事であった。

記事の内容は、以下のとおりである。

 

(やまと新聞社2022.05.19記事引用)

―それでも私は「天皇陛下萬歳」を叫ぶ― 村田春樹(自治基本条例に反対する市民の会会長・今さら聞けない皇室研究会顧問)

 

沖縄返還50年となった。14日には那覇で良識派により前夜祭、15日当日は政府主催の記念式典が挙行された。50年前の15日、東京武道館で両陛下をお招きして記念式典が行われ佐藤栄作首相が「沖縄祖国復帰萬歳」の音頭をとった。同時刻那覇の市民会館でも式典が行われた。

 

主催者である屋良朝苗(最後の琉球政府行政主席、沖縄県復帰後最初の知事)が万歳の音頭を取った。屋良は昭和28年、沖縄教職員会会長の時に衆議院で沖縄の児童生徒への援助を懇請、祖国復帰を熱望して声涙ともに下る名演説をしている。極々一部を紹介する。

 

「・・・痛々しくも祖国に殉じた青少年男女学徒等の最期をわれわれは絶対に忘れることはできません。彼らは愛する祖国を守るためにこそ、純情一途に最後まで祖国の勝利を信じつつ、あたら花のつぼみのようなうら若い身を、かの映画「ひめゆりの塔」で見られますように祖国に捧げたのでありました。われわれはいかなる障害を乗り越えても彼女らの純情を生かしてやりたいのであります。このことはわれわれ沖縄教育者の至上崇高なる課題であります。すなわちわれわれは彼らが文字通り身をもって守って来た祖国を失わしたくはないのであります。国政に参与せられる皆様、どうぞこの島に眠る戦没者の魂の声を聞きとっていただきたい。また条件はどうであろうと、いやしくも祖国を有し、それと一連の共通の文化と歴史を持ち、日本人としての民族的矜持を有する沖縄の住民が、どうしていつまでも異民族の統治下に満足しておられましようか。どうぞ沖縄の住民の立場になって考えていただきたいと思うのであります。・・・」

 

私はこれを読む度に落涙を禁じ得ない。さて話しは萬歳の音頭に戻る。屋良は革新つまり社会党共産党に担がれていた。だから本欄の読者には彼に良い感情を持っていない人も多いと思う。

 

しかし彼はなんと当日式典で「天皇陛下萬歳」と叫んだのだ。事前に察知した周囲が「それはやめろ」と迫ったが屋良は言った「それでも私は天皇陛下萬歳を叫ぶ、私の娘がしたように。」周囲は黙るしかなかった。

 

屋良の娘ヨシはあのひめゆり部隊に志願して散華したのである。式典の最中屋良の胸中には様々なことが走馬灯の様に巡ったことだろう。

 

大正10年18歳の時沖縄に行啓された皇太子(御年19歳)を間近で拝礼したこと、50年後に東京で式典にご臨席の天皇陛下。そして激戦の沖縄で散華した娘ヨシ、彼女はどれほど日本の勝利沖縄の安寧を祈り戦ったことか。屋良は娘に語りかけただろう。「沖縄は無事に日本に帰ってきたよ。安心しなさい。」屋良は決心した、娘の分まで天皇陛下萬歳を叫ぶと。

 

来たる5月22日13時30分、星陵会館で良識派の祝賀式典が開催される。式典最後に不肖村田が萬歳の音頭を取る。私も万感の思いを込めて喉も裂けよと「天皇陛下萬歳」を叫ぶ。皆様是非とも大きな声でご唱和ください。

(引用ここまで)

 

私はこの記事を読み、現在の日本のことを考えてみた。

現在の日本は、なにか忘れてきたものがあるように思えてならない。

民主主義は、不変のものと言えるのだろうか。

私には、劣化し、制度疲労と機能不全を起こしているように見えてならない。

それは、長年にわたって自由民主党の一党独裁とも言える体制が続き、もはや民主主義とは名ばかりになっていると言っても過言ではない。

また、日本人の心も大東亜戦争のことなどを忘れ、自由というものを取り違え、平和というものを当たり前の存在としてきたように思えてならない。

果たして日本は真の自由を持ち得る国であろうか。

加えて、真の民主主義が貫かれていると言えるのだろうか。

疑問ばかりが浮かんでくる。

このところ、よく自由と民主主義、法の支配という言葉が用いられることがある。

確かに、自由と民主主義というものは大切なものであり、それを実現するためには法の支配というものは必要不可欠である。

その法の支配というものが、果たして機能しているかは疑問と言わざるを得ない。

憲法改正問題についても、未だ議論は進まず、改憲か護憲かという以前に、果たして現行の日本国憲法は、国民のための基本的法律になっているのだろうか。

国民は、憲法という名称は知っているが、その中身についてはほとんど理解をしていないと言っても過言ではない。

故に、憲法議論が進まないのはやむを得ない部分があるとも言えるだろう。

ただ、憲法の成立について、本当の意味で日本人のために、日本人がつくった憲法でないことは、現状言うまでもなく、これも日本が敗戦したことに由来している。

日本は、敗戦したことによって一時的であれ、沖縄という固有の領土を米国統治下に置かれる結果となった。

それが、50年前に祖国復帰を果たし、現在もなお沖縄県として日本国の一部となり、存在し続けている。

 

少し話は戻るが、沖縄が日本のもとに帰り、日本は戦後というものを終えることができた。

そして、日本は、77年前に敗戦という結果をもって、自由と民主主義を得ることができた。

それは、310万余の命と引き換えに得る結果となった。

しかし、現在の日本は、そのようなことを忘れてしまい、表面的な政治、表面的な経済、また表面的な社会構造が跋扈し、日本や日本人のアイデンティティなどというものを忘れ、何事においても国際的国家としての存在が重視されているように思えてならない。

このような状況下で、50年前の日本人のあり方を感じさせられることがあった。

それが、昭和28年に屋良朝苗氏が国会で演説した内容にあるように思えてならない。

私は、この演説を読み、沖縄県民の当時の切実な思いが語られたと強く感銘を受けた。

沖縄県民こそが、日本国というものの大切さをひしひしと感じていたのではないか。

そのような思いや志を現在の日本人は忘れてしまっている。

沖縄のことを語る上で、今なお米軍の基地問題などを中心としてイデオロギー対立が語られている。

特にマスコミにおいては、非常に偏向的な記事が横行し、あたかも沖縄は琉球国として独立したいかのような記事すら見えてくる。

このような表現が果たして本来の自由というものであろうか。

世論誘導は、決して自由という言葉で片付けられるものではない。

また、民主主義というものは、単なる多数決でものごとを決するわけではなく、大いに議論をし、意見を積み重ねるという結果に基づき、意見を集約すべきもので、選挙結果や世論調査というもので意見が定まるものではない。

当時の沖縄県民は、大多数が祖国復帰を願っていたとも聞いている。

それは、初代沖縄県知事であった屋良朝苗氏も同様であっただろう。

故に、あのような発言と沖縄祖国復帰記念式典において革新系知事であった屋良氏は、「天皇陛下万歳」と叫んだのであろうと推測される。

このような屋良知事をはじめとし、沖縄県民の心こそがある意味日本人の心であると言っても過言ではない。

 

話は少し逸れるが、現在、ウクライナ・ロシア戦争が継続している。

この21世紀にあって、あのような悲惨な戦争が起こり、今なお継続されているということは、世界は先の大戦を忘れたと言えるのではないだろうか。

この2国間の戦争は、欧州に広がり、米国が参戦すれば、この日本を含むアジアも戦争になるやもしれない。

そうなれば、まさに第三次世界大戦ということになる。

私たち日本人は、先の大戦において、沖縄戦で約20万人、広島、長崎の原爆投下によって約21万人という多大の犠牲を払う結果になった。

先にも述べたが、全体では310万余の同胞の命が失われた。

そのことを忘れたかのように、現在の日本では、核武装論など非常に危うい意見が多数噴き出している。

また、左右両派ともに、ウクライナ・ロシア戦争ついて、表面的で他人ごとのような議論がなされている。

特に、イデオロギー的対立は、本来の意味を逸脱し、経済戦争かのような議論や非常に偏った政治的議論に陥り、人命などを顧みず、どちらかの国が正義であるかなど、あたかもゲームをしているかのような議論が横行することは、甚だ遺憾であると言わざるを得ない。

何よりもこの戦争が早く終わることが、人の命を救うことになる。

ウクライナ人もロシア人も決して戦争をしたいという国民はいないと言っても過言ではないはずだ。

この戦争についても正否を語ることは難しいが、ロシアがいかなる理由があろうとも、他国を侵略したという事実は変わらず、このような問題解決の方法は、現在の国際法上認められるものではないということは言うまでもない。

この戦争を左右両派の人々が軽々なイデオロギー論で片付けようとすることは、まさに屋良氏の思いや沖縄県民の思いなど及ぶことのない平和ボケした日本人の言葉だと言えるだろう。

本当に日本人は、77年余りの平和に胡坐をかき、平和を守るという思いすら忘れ、先人たちの命をかけた言葉が通じなくなっている。

今一度、そのことを思い浮かべていただきたい。

日本の現状は、非常に複雑化している。

自由や平等という言葉が横行し、何事においても国際的な方向性に左右される国民になったと言っても過言ではない。

しかし、現状の日本社会は決して自由とは言えない。

この度の感染症拡大において、自由というものがかなり抑制されてきた。

それも自粛という言葉で自由の抑制を行ってきた。

あたかも国家は主権者の自由を奪っていないかのような物言いであるが、その実は、国民自身が互いに牽制するという、ある種、陰湿な社会を生み出したと言っても過言ではない。

また、いじめや児童虐待というような悲惨な事件に関しても、行政官が隠蔽体質を露にし、問題解決を求めないような姿勢が横行している。

また、平等と言う名の下の平均化、もしくは平準化を行い、統一感を失わない人間をつくるような思考が増えつつある。

それでいて、国民の中に支配する者と支配されるものというような区別が行われ、国内を分断するかのような事実的現象が起こっているとも言える。

左右の対立においても、70年代までのような明確な対立軸を示すわけではなく、互いに誹謗中傷とも言えるような対峙する意見に終始し、客観性もなく根拠もない感情論の対決が続いていると言っても過言ではない。

このような状況で本当に日本はこれから持続、もしくは存続していけるのだろうか。

私は非常に疑問に思えてならない。

現状において、左派は、皇室の存在を認めず、国旗、国歌すらも認めないという国民の緩やかな移行すらも無視した発言を行い、右派を牽制している。

また、右派も本当の意義や意味をもって皇室のことや日の丸、君が代を語っているのだろうか。甚だ疑問と言わざるを得ない。

特に、天皇陛下万歳という言葉の意味をどこまで感じているのかは、不可解であると言えるのではないか。

これらの左右のイデオロギー論は、やはり表面的で、形だけのものと言えるのではないか。

私自身の個人的な意見ではあるが、ご皇室は、日本のアイデンティティそのものであると信じてやまない。

加えて、日の丸と君が代は、如何なる意味があるか否かなど関係なく、脈々と培われ、日本人のアイデンティティを示す一つの象徴となっていると言っても過言ではない。

現に、オリンピックや国際大会において日の丸がセンターポールに上がり、君が代が演奏されることに何の疑問もなく感動を覚える国民がいることは、ある意味多くの国民に認知された存在だと言えるだろう。

しかし、無暗に日の丸や君が代を乱用することには不可解な思いを拭えない。

また、天皇陛下万歳という言葉が本当の意味でご皇室の弥栄を願ってやまない意味で使われているかは非常に疑問に感じる。

私は、一般的に右翼と呼ばれている。

また、私自身右翼であることを自負している。

ただし、表面的で形式的な右翼の存在を認めているわけではない。

故に、私自身は、自らの活動においてよほどのことがない限り日の丸を掲揚することもなく、また君が代を斉唱することもない。

他の団体の式典や活動において、日の丸、君が代を活用することを否定するものではないが、ただ単に表面的に利用されることには、あまり良いものと思ったことはない。

加えて、天皇陛下万歳という言葉を発することは、私自身、滅多になく、本当の意味での天皇陛下の存在について感謝をし、思いを募らせたときのみに発することがあると言ってもよいと確信している。

故に、表面的もしくは形式的利用については、非常に良いとは思うことができない。

その点について鑑みると、50年前の沖縄復帰式典において初代沖縄県知事屋良朝苗氏が、天皇陛下万歳と叫ぶ思いについて強い感動を覚える。

この言葉は、本来の天皇陛下万歳の意味を示す言葉であり、このような熱意と信念に基づく天皇陛下万歳は、そうあるものではない心からの叫びであると信じてやまない。

今一度、日本人は、日本人のアイデンティティを取り戻し、日本人としてできる道を再度模索する必要があると言っても過言ではない。

現在の国際情勢と現在の日本を顧みる良い機会であると確信するものである。