ken「筆は剣よりも危うし」

【筆は剣よりも危ふし】 天皇陛下の靖国神社ご親拝を祈り願ひ奉る    三澤浩一(武客)

境内を埋める花びらなげあそぶ子らの上にはさみどり光る

 

 天皇陛下の靖国神社ご親拝を祈り願ひ、奮励努力してきた沼山光洋さんは令和元年5月11日、忠死した。冒頭に掲げたのは、沼山さんの遺詠である。

 

 5月11日は、沼山さんが尊敬してゐた靖国神社ご祭神のおひとり、西田高光命が戦死した日だ。西田高光命は、海軍の神風特別攻撃隊の第五筑波隊の隊長を務めた学鷲である。大分県の出身で、大分師範学校を出てから、地元の小学校で教師をした後、海軍に入つた。昭和20年5月11日に鹿屋基地を出撃、南西諸島洋上で戦死した。海軍中尉で戦死して、少佐となつてゐる。22才であつた。

 

 西田兄弟姉妹は6男3女の9人だと聞く。西田高光命は次男である。兄の長男は陸軍士官、弟の三男は海軍士官として、やはり戦死してゐる。長男、次男、三男と戦死したため、四男の久光さんが家を継いだと聞く。まさに忠臣のご兄弟である。このやうな<ますらを>の悲しき命を積み重ねて、日本は守られてきたと、ただただ感謝する。

 

 沼山さんは、公開遺書といへる「新時代令和を迎えて」の中で<平成の御代に御親拝賜れなかったこと天皇陛下、御祭神の皆様に大変申し訳なくお詫びの言葉もありません。>と述べてゐる。沼山さんは言葉ではなく、行動でお詫びしたのである。

 

 沼山さんは、靖国神社をはじめ全国各地の護国神社の忠霊に<ま心>を尽くしてきた。上皇陛下がご譲位のご希望を明らかにあそばされてから、天皇陛下の靖国神社ご親拝を祈願して、全国各地の護国神社を巡拝するなど、全力を尽くした。

 

 沼山さんは平成29年1月14日、靖国神社を初詣したとき、天皇陛下の靖国神社ご親拝を祈願するため、全国の護国神社を巡拝することを宣言した。4月22日、靖国神社の秋季例大祭に昇殿参拝してから、全国の護国神社巡拝に出発した。北海道から沖縄県まで、全国の護国神社を巡拝の後、5月20日に靖国神社を参拝、奉告した。

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