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私が佐倉歴博の「歪んだ展示」にこだわるわけ   空花正人(教育問題懇話会主宰)

1. はじめに

  令和3年10月から12月にかけて佐倉にある国立歴史民俗博物館(歴博)が「学びの歴史像~わたりあう近代」という挑戦的な題の企画展示を行うこととなり、その案内の中で、「第5章 アイヌが描いた未来」という展示の紹介が、「近代国民国家に編入されたアイヌ民族は、抑圧を腹背に受けつつも社会と主体的にわたりあっていました。」となっていることに、私はサヨク偏向のにおいを感じたのである。

 

実はこれに先立つこと2年前、やはり企画展示で「性差の日本史」が催され、日共系「新日本婦人の会」が絶賛していたので、主催したこの博物館の歪んだ姿勢がたいそう気になっていたからである。

 

そこで一人で見に行くより大勢に知らせることがよいと思い、佐倉歴博ツアーを企画提案し、応募していただいた方若干名と11月26日に実際視察に行って来た。展示物での特筆する事柄は次項以下のとおりである。

 

2. 企画展示(アイヌの歴史の歪曲)

アイヌの歴史が展示されると聞けば勘のいい人なら、先住民族とされた歪曲史観の記述があると想像するであろう。その想像通りの展示があった。清の時代には清が樺太アイヌを辺民として支配したとか、ロシア帝国は千島アイヌ(クリル人)をキリスト教布教と毛皮税の徴収を軸に臣民として支配した、のような記述がある。さらに19世紀の「箱松夷深秘考(五)」は、日本で作成されたアイヌ民俗図集であるが、『日本書紀にみえる「蝦夷」を同時代のアイヌ民族とつなげ、支配の正当性を示している』というキャプションが付されている。さらに、対雁学校の説明では、「サハリンからこの地に強制移住の樺太アイヌの児童を対象に設置された小学校。和人が共学を嫌って分校設置を申請、、、品行が善からざる、、、風習に染まり、、、」という間違った記述もある。

歴史学界は「樺太アイヌは強制移住された」という嘘を平気でつく。(Will2022年1月号 大高未貴『樺太アイヌ強制移住の嘘』が詳しい。)今回の企画にかかわった人物は、小川正人 アイヌ民族文化研究センター長、谷本晃久 北海道大学文学部 である。

 

 3. 総合展示(現代の偏向度合い)

歴博による「現代」という時代区分は、1931(昭和6)年の満州事変から敗戦までの「戦争の時代」、1945(昭和20)年から7年間にわたる「占領の時代」、1955(昭和30)年前後を基点とする「高度経済成長の時代」を対象とする。「戦争の時代」は左翼系歴史学者が好む「15年戦争史観、アジア・太平洋戦争史観」に倣っているのであろう。

順路に沿って項目を列挙する。

Ⅰ.戦争と平和 1.膨張する帝国  2.兵士の誕生  3.銃後の生活  4.戦場の実相  5.占領下の生活  Ⅱ.戦後の生活革命  1.高度経済成長と生活の変貌  2.大衆文化からみた戦後日本のイメージ  

 

筆者が着目した箇所は、戦時中よりも敗戦後のことである。占領下の生活と、大衆文化からみた戦後日本のイメージ。

 

 

 

4. れきはくへの質問

   11月30日に下記の質問を所定の用紙に記入してメールとファクスで送った。

    (1)企画展示室についての質問   「第5章アイヌが描いた未来」に関し、パネルで掲示された図版のキャプション(説明文)に主観が込められているように見受けられた。論評するに当たり原文を正確に把握するため貴館で所有する説明文のデジタル文章を資料請求します。(例)1.記述されるアイヌ社会から 皇清職貢図、ロシア帝国全民族誌、箱松夷深秘考(五) 2.えぞ通詞と学知から 対雁学校の説明。

 

    (2)第6展示室についての質問    パネルとして選ばれた史料の選択基準は何か。とくに論評したい部分は「中流階級化としての戦後」、及び「忘却としての戦後」である。正確な記述を入手したいのでパネル説明書きのデジタル原文を資料請求する。「流れゆく人びとの記録」「年表」は必須です。どうしてこのパネルを製作し、展示したのでしょうか。

 

  れきはくからの回答 ・・・・ 詭弁を弄した態度に激怒

 

まず送られてきた回答は要旨以下の通り。

・展示パネルの文字データの提供はサービスしていない。資料特別利用申請の形で申請したら考えよう、場合によっては有料になるかもしれない。企画展示の「学びあう歴史像」なら、展示図録に掲載の説明文と同じ内容なので、購入すれば読める。

 

正月休みを挟んで送られてきた2通目の回答もそっけないものであった。

・第6展示室(現代)において筆者が指摘したものは、パネル「中流階級化としての戦後」とパネル「忘却としての戦後」に関する史料選択基準とその理由である。

歴博の回答要旨は以下の通りである。

まずパネル「中流階級化としての戦後」について。

高度成長の時代もさまざまな問題性を抱えた時代であり、全ての人びとが「中流階級化」したわけではない。歴博は成長の外部にいた人々へ注目し、こうした少数の人びとの生活を考えさせることにしたのである。

・高度成長期の列島規模の人の移動に伴い、下層社会への人びとの沈殿化が起こった。歴博はそうした下層社会の人々の動向を象徴的に描こうとしたのである。

・パネル「忘却としての戦後」においては、戦後日本を問題化するとき、メディアを中心にした「大衆文化」に焦点を当てた。ここには「政治性」を含みながら、夢やあこがれ、失望や絶望を表現する機能を果たし、戦後日本人の多様な姿を映す鏡となると考えた。

・戦争と原爆と植民地をめぐる「大衆文化」作品を通しながら、「記憶」(忘れてはならないという力)と「忘却」(忘れられていく力)のせめぎあいを多様に描いた、と説明する。

 

総じていえることは、「多様性」といいながら、扱うものは全体ではなくごく一部の対象であり、「政治性」を含ませれば、階級的描写にならざるを得ない。

筆者が全く受け入れ難いパネルは「忘却としての戦後」であって、歴白が主張するような、多様な日本人の姿ではなく、実は「朝鮮人鉱夫とその家族たちのことである。」

その場で書き写したものであるから正確性は保証しないが紹介しておこう。

 

『戦時労働動員のもとに連れてこられ、きびしい重労働に従事させられた人びともいた。敗戦後、「解放」されたとはいえ、ぞくぞくとボタ山のふもとに生まれた数多くの掘建て小屋が戦後の生活のきびしさを物語っている。そこはいつしか「アリラン峠」と呼ばれるようになった。1959(S34)年日朝両赤十字の間に帰国協定が結ばれ、「新しい祖国」への希望をもって朝鮮民主主義共和国(北朝鮮)に帰っていく人々もいた。』

いかが感じられたであろうか、多様な日本人像なのか、限られた展示スペースにおいて、朝鮮人の「過酷な重労働と劣悪な住空間」だけが描かれている。しかも許し難い歪曲は、帰還事業の嘘と詐術、地上の楽園どころか地獄であった北朝鮮の実相を不問にしていることである。全くバランスも何もない、政治的プロパガンダそのものではないか。国立の博物館たるもの、展示資料の教育的効果をどのように解しているのであろうか。子供たちに見せる内容ではない。

 

 

想像してはいたが、この施設の目的は教員研究発表の場。 一般人やまして子供を対象にしたものではない。最初から歴史学界の空気を読んだ上での新奇な少数意見の発表の機会を与えるもの。歴博のホームページには以下のように記されている。

「一般の博物館とは異なり、我が国の歴史学、考古学及び民俗学に関する資料の収集・保管、調査研究を大学の教員等と共同で行うことを目的とした研究機関であると同時に、その成果を博物館に展示し、皆さんに観覧いただいています。」

 

研究機関であって、学者、研究者の成果を自由に発表する場だから、一般の博物館とは異なる、といいつつも学校に利用させるのは、どのような魂胆なのか。

見学対象に含まれた児童生徒の発達段階はどう見るのか。

研究機関としての性格だから、自由な研究及びの成果発表の場はよいが、枝葉末節な蛸壺研究が多いのは明らかである。

博物館機能を重視するなら、展示内容そのものの質、見せ方、展示方法は十分考慮されねばならない。歴史全体の俯瞰があってこそ、細部も理解できるにもかかわらず、いきなり左翼研究者好みの偏向した些末な自虐的展示物をわざわざ選んでいるのであるから、きわめてバランスが悪く、公共性が完全に無視されている。

歴史事実は年々新たな発見や考察によって、書き改められてきているにもかかわらず、旧態依然の学界の通説に閉じこもっていて、その壁は厚く高い。多面的かつ自由な研究が阻害され、無視されている。

その典型例が、「従軍慰安婦」(千田夏光)、「朝鮮人強制連行の記述」(朴慶植)、「南京事件」(洞富雄)、「中国の旅」(本多勝一)のような、キワモノ作品や、プロパガンダ造語が説明なく、麗々しく展示されている。

 

 5. 更なる調査を継続

 木で鼻をくくったような歴博からの回答で引き下がるわけにはいかない。時同じくして、児童向け参考図書を出版しているポプラ社の百科事典(商品名ポプラディア)のサヨク偏向ぶりに憤慨しポプラ社に牽制球を放った勢いで、佐倉歴博の追及も継続することとした。

改めて仲間を募ったところ、若干名の応募があった。今回は地方議員の参加もある。

第1組は3月23日、第2組は4月1日に行くことになっている。

 

パネルの描写を正確に書き写し、徹底論戦に挑む所存である。