ken「筆は剣よりも危うし」

【筆は剣よりも危ふし】 ひまはりよ!咲き誇れ!ウクライナに幸あれ! 三澤浩一(武客)

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかつた。

 私は共産主義者ではなかつたから。

 社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかつた。

 私は社会民主主義者ではなかつたから。

 彼らが労働組合員を攻撃したとき、私は声をあげなかつた。

 私は労働組合員ではなかつたから。

 そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残つてゐなかつた。

 

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 上記は、ドイツのキリスト教ルター派の牧師であり、反ナチス運動の指導者であつたマルティン・ニーメラー(西暦1892~西暦1984)の言葉に由来する「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」といふ詩である。

 詩といふよりも、警告といふべきか、教訓といふべきか、反省といふべきものだらう。共産主義者、社会民主主義者、労働組合員だけではなく、ユダヤ人、心身の障碍者、不治の病の患者、カトリック教会、ナチスに侵略された国々の人々等々も加へた長い文もあるが、上記がマルティン・ニーメラー財団によるものだから、それを記した。

 

 ニーメラーはドイツ帝国海軍の士官だつたが、第一次大戦後はワイマール共和国に仕へることを拒否して退役、父親と同じ牧師となつた。共産主義者など左翼とは対決し、当初はナチスを支持してゐた。当時は良い意味でのプロイセン流といふか、ドイツ式の筋金入りの軍国主義者、右翼といへる。

 

 しかし、西暦1933年にアドルフ・ヒトラー政権が成立して、ナチスの本性が明らかになつてくると、ナチスに対する抵抗運動を開始して、西暦1937年には強制収容所に収監されてしまつた。

 

 正統な軍国主義者は祖国に忠誠を誓ふのであり、特定の政党や個人に忠誠を誓ふものではない。もちろん君主国では君主に忠誠を誓ふ。

 

 ニーメラーの言葉は、迫害や弾圧の対象が少しずつ拡大していくとき、「自分は当事者ではないから」と見て見ぬふりをしてゐたら、自分が対象となつたときには、助けてくれる人は誰ひとり残つてゐなかつたといふ反省である。暴虐の恐ろしさではなく、無関心や傍観の恐ろしさを説いてゐる。

 

 この反省は、迫害や弾圧だけではなく、侵略にも当てはまる。「ナチス・ドイツがオーストリアを併合したとき……、チェコスロバギアを侵略したとき……、そしてポーランドを侵略したとき……、もう遅かつた。第二次世界大戦が始まつた」となる。

 

 歴史に「もし」や「たら」「れば」はない!といふ。しかし、過去に「もし」や「たら」「れば」を仮定して、その教訓や反省を現在や未来に活かすことが、歴史を学ぶことの意義である。

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