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【論説】死はいつでも割と間近にあるものである

※イメージ画像

 

仕事が早く終わった日の夕刻、郊外のサウナ付き温泉に行こうと住宅街を自転車で走っていると、道端に若者が突っ伏していた。目の前には停車した車がある。運転手は携帯で電話を終えたところだ。交通事故かと思い、急いで駆け付ける。運転手の高齢男性が降りてきて、「倒れていたんです。いま救急車を呼んだところです」と状況を説明した。

 

若者の倒れ方が尋常ではない。左手を枕にして俯せになり、顔を伏せている。「息できますか」と尋ねると小さく頷く。「どこか痛い所ありますか」と尋ねると小さく「あたま」という答え。傍らには自転車が駐輪してある。高校生のようで、図書館かどこかに行く途中だったようだ。

 

コロナ禍のせいか、救急車は繁忙期のようで20分以上はかかると言ったらしい。高齢男性によると、車で通りがかった際すでに高校生は倒れており、自転車も倒れていたそうだ。急に頭が痛くなり、道路に倒れこんでしまったようだ。投げ出されたような状態の自転車を立て直したのも高齢男性とのこと。

 

男性は緊急通報のオペレーターとまだ繋がっている。色々と訊かれていたが、「息はできている」「僅かだが話ができる」「頭が痛いようだ」と状況説明をしたうえで、「下手に動かすとかえって危険だから、消防車が来るまで待っています」と言って一旦切った。近所から別の男性が毛布を持参して駆け付け、高校生の上にかける。晴天とはいえ真冬の時期。20分もこのままにしていれば体が冷えかねない。ありがたい措置である。あまり多くを尋ねるのも負担になるので、私たちは近くで高校生を見守ることしかできない。

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