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【論説】グッチ家を離散させた「一滴の強欲」

※グッチの公式HP

 

ファッションブランド・グッチを描いた映画『ハウス・オブ・グッチ(House of Gucci)』を見た。サラ・ゲイ・フォーデンの原作本が元ネタで、多少の創作・改変はあるものの、大筋はグッチ創業一族のノンフィクション映画となっている。

 

第一次世界大戦後の1921年、英ロンドンの貴族社会に触発されたグッチオ・グッチが伊フィレンツェで起業する。乗馬をモチーフにした皮革製品が人気を博し、第二次世界大戦後の1953年にグッチオの三男アルドがNYに出店、世界進出の足がかりを築く。その後、アルドの二男パオロが2代目社長に就任するが、彼にはブランドセンスが欠落し、グッチブランドの評判を落とす。一方、父アルドはパオロよりも優秀な従兄弟のマウリツィオ・グッチを厚遇する。

 

しかし、映画の主人公は彼らではない。財産目的でマウリツィオに近づいた殺人犯パトリツィアである。朴訥な青年だったマウリツィオを色仕掛けで篭絡したパトリツィアは、グッチ株を集めて経営権を奪うことを画策。面倒見の良かったアルドやパオロを騙し打ちのような形で追い込み、マウリツィオを操り人形にして経営者の1人のように振る舞う。パトリツィアは次第に本性を露わにし、自身のデザインや人事にまで口出しをするようになり、嫌気が差したマウリツィオは彼女を追放し、別の女性と暮らし始める。

 

しかし、経営の才覚がなかったマウリツィオは投資会社に経営譲渡し、巨額の資産を手に入れることと引き換えにグッチブランドは創業家の手を離れた。離婚を拒絶し続け、ストーカーと化したパトリツィアは、(映画の設定では)占い師の紹介でヒットマンを雇い、マウリツィオを射殺。その日のうちにマウリツィオの住宅差し押さえの申請をし、同棲相手を追い出して「我が家」に戻って生活し始める。

 

犯行発覚もまた、パトリツィアの欲望からだった。暗殺報酬を値切ったことで実行犯が暴露。パトリツィアは1997年、懲役29年の判決を受ける。裁判長が「パトリツィア・レッジアーニ」と連呼するも立ち上がらず、「グッチ。パトリツィア・グッチと呼びなさい」と命じて、エンドロールとなる。

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