yukoku「憂国の風」

自衛隊を名誉ある国軍に     玉川博己(三島由紀夫研究会代表幹事)

 今から52年前の昭和45年11月25日、三島由紀夫先生はあの市ヶ谷台上決起において、その最後の「檄文」の中で「自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。」と血の叫びで戦後日本の根本的な矛盾を訴えられ、憲法改正によって自衛隊を建軍の本義を持つ真の国軍たらしめる必要性を主張され、最後は壮烈な自決を遂げられたのである。

 ここ近年来ようやく憲法改正の機運が醸成されてきたように見えるが、昨今の議論は憲法に自衛隊を明記することが最優先、自己目的化しており、肝心の自衛隊はどうあるべきか、という本質的議論が抜け落ちていると言わざるを得ない。

 とりわけ政府与党が進めようとしている、憲法9条第1項と第2項はそのまま維持して自衛隊保持を明記した第3項を追加する加憲改正案は、自衛隊と自衛隊員を発足以来悩ませてきた根本的矛盾をそのまま放置する弥縫策に過ぎない。あるいは自衛隊の代わりに実力組織を保有するという条文案も大同小異である。

 

 筆者の立場を明確にすると以下の通りである。

現行憲法はその条文の通り、如何なる武力の保持もまた国家の基本権利である交戦権も  否定している。現憲法は独立国家としての日本を否定している。そもそもこの憲法をつくったGHQの狙いが、日本を永遠に米国に刃向うことのない丸腰の奴隷国家の状態に置こうとしていたことは言をまたない。三島由紀夫先生は「憲法は日本国民に死ねと言っていることと同じ」と言われたが、正に至言である。

従って、陸海空の自衛隊は明らかに憲法違反の存在である。「芦田修正」美化論や「自衛のための組織は否定されていない」という長年の政府の説明は、苦し紛れの詭弁でしかない。もし自衛隊が合憲の存在であるならば、なぜいまだ日本国の象徴たる天皇による自衛隊の観閲や、統合幕僚長などの親任官待遇が実現しないのか。政府与党は長年自衛隊は合憲だといいながら、一方で自衛隊と自衛官が偏見と差別の中で苦しんできたことを見て見ぬふりをしてきたのではないか。

戦後日本の道義の頽廃は、憲法とそれと相反する自衛隊と日米安保体制の矛盾を日本国民が矛盾と自覚せずに、ずっと放置したままにしてきたことにその根源がある。

 

 自民党やその支持者による憲法9条の加憲改正論は「まずは自衛隊を条文に明記することに意味がある」、「これを風穴として今後の更なる憲法改正を目指すべきだ」という考えのようであり、保守・民族派の少なからざる人々が賛同しているとのことである。私はこれまで多くの加憲改正論者と議論をしてきたが、次のような私の疑問に正面から答えられる人はまだいない。すなわち

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