tajikarao「タジカラオの独り言」

-マスクジェネレーション― 野伏翔(映画監督)

私事で恐縮ですが1月23日に誕生日を迎えました。古来希なる70歳。人生百年時代と言われ、実年齢よりは若く見られる私ですが、それでも年相応に肉体は自分を裏切ってきています。元々運動は好きな方で、衰えを防止するためにランニングや腕立て、懸垂、そして若い時に覚えた空手の型や木刀の素振り等を続けてはいますが、少し無理な数をこなすと直ぐ腱鞘炎や膝痛などにかかりやすくなったようです。これからはメンテナンスにも充分気を付けて、まだしばらくは動ける体を維持していきたいと思っています。

私が生まれた70年前と言えば昭和27年、西暦でいうと1952年です。昭和20年に敗戦した日本が、7年と言う長い米軍による占領時代を経てサンフランシスコ平和条約に調印。曲がりなりにも独立国としてスタートした年に生まれたわけです。曲がりなりにもと言うのは独立後70年を経ても、未だに被占領時代に押し付けられたいわゆる日本国憲法を後生大事に抱えていることが原因で、拉致被害者を救えず、北方領土、竹島という奪われた領土を取り返すこともできず、尖閣、そして沖縄までを侵略の危険に晒しているからです。

とは言え私の子供時代、ようやく独立を遂げた当時の日本には活気があった気がします。私が幼い頃の日本は今とは隔世の感があります。私が生まれて12年後の1964年に第一回東京オリンピックを迎えてからは経済大国へとまっしぐらに発展しましたが、未だ私が幼かった昭和35年、1960年頃迄の日本には、先ずテレビが無かった。ラジオは有って、夕方になるとラジオから流れる「赤胴鈴之助」の歌声を聞いたら家に帰る決まりでした。赤胴鈴之助の歌は「親は無くても元気な笑顔、弱いものには味方する。オー、頑張れ、強いぞ、僕らの仲間、赤胴鈴之助!」と言う実に健康的な歌詞で、親を亡くした戦災孤児たちを勇気づける歌でもあったと聞いています。又紙芝居と言うものがあり、自転車の後ろに紙芝居を積んだおじさんがやってくる。我々子供はそのおじさんの手伝いで近所中にカネを鳴らして子供たちを集める。そしていくら払ったのかは覚えていないが水アメか何かを買ってそれを舐め乍ら紙芝居を観たものです。紙芝居屋さんは無声映画時代の弁士のように絵に合わせてお芝居をしてくれるのですが、女の声は気持ち悪いなあと子供心に思って覚えがあります。

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