shohyo「書評」

バイコフと日本 三浦小太郎(評論家)

今年は白系ロシア人作家、ニコライ・バイコフの生誕150周年。バイコフの代表作は「偉大なる王」という、満州の密林と山野を舞台に、誇り高い虎と人間たちのドラマを描いた傑作だが、この小説、そしてバイコフ自身は日本と深い関わりがあった。

 

バイコフは1872年、ウクライナのキエフに生まれ、少年時代に、陸軍学校卒業後、ペテルブルクの博物学科に学ぶ。その後士官学校を卒業、アムール軍管区国境警備隊に1914年まで勤務している。同時期、1901年から1914年にわたり、満州の動植物の研究にもあたった。

1914年には第一次世界大戦に従軍して負傷しているが、1917年のロシア革命後は、白軍に参加、赤軍との戦いに奮戦するが、遂には敗れ、満州に戻り、森林の管理会社に勤めつつ、満州の猟師や村民と深く交流しながら、1920年代以後小説を発表する。しかし、当初彼は、白系ロシア人の中では知られてはいたが、満州の地方作家の一人にすぎなかった。

 

このバイコフを有名にしたのは、満映宣伝部にいた作家長谷川濬との出会いだった。長谷川は「偉大なる王」を翻訳し、満州日日新聞に連載、それを読んだ菊池寛が「満州のジャングル・ブック」と絶賛、1941年に文藝春秋から単行本として出版され、当時の大ベストセラーになったのだ。

 

もちろん、これはバイコフの作品の力である、しかし同時に、当時の情勢も大きく作用していた。ハルビンに住むこのロシアの老作家は、かっては元軍人で反共産主義の戦士、今は、満州の大地に生きる様々な人々の生を、美しい自然描写と共に語る樹海の文学者として、「五族共和」の理想の象徴となったのだ。1942年12月、大東亜文学者大会に満州代表として参加するために来日したバイコフは大歓迎を受け、ある種のバイコフ・ブームすら起こった。

 

川村湊「満州崩壊」(文藝春秋)によれば、この時バイコフを日本で大ヒットさせた菊池寛は「我々日本人が、貴方の老後を保証するから、自分の将来については心配しないでください」と述べ、バイコフを感動させている。しかし、それは単なる好意だけではなく、戦局が厳しい中、バイコフの将来を守る責任を感じていたのではないかと、同書で川村は指摘している。

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