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【論説】地味ながら苛烈すぎる鎌倉殿の時代

※イメージ画像

 

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が始まった。平清盛や源頼朝といった源平ではなく、2代執権の北条義時という地味な武将が主人公である。

 

同じ北条氏であれば、頼朝による復讐劇を娘政子と共に手助けした初代執権の時政や、モンゴル襲来を凌いだ8代執権の時宗の方が有名だし、過去の大河でも活躍している。しかし、脚本家三谷幸喜氏が着目したのは、地味ながらも『吾妻鏡』や『愚管抄』に記された得宗家草創期の豊富なエピソードのようだ。

 

頼朝の死後、18歳の頼家が家督を相続する。野卑な東国武士団の棟梁となった頼朝のようなカリスマ性がなかった頼家は、全権を掌握できなかった。配下の御家人13人が合議制の政権運営を開始するが、ここで権力争いが勃発する。頼家との縁戚をテコに後見役を狙った比企氏が最有力だったが、時政の策謀が発動する。梶原景時や比企能員が相次ぎ殺害されると、政所別当の時政が政権運営の中心になる。

 

時政の暴走は止まらず、頼家やその子一幡をも殺害。しかし、あまりに急進的な他氏排斥に反発した義時や政子は父を追放し、実権は両氏に移る。他氏排斥はとうとう親子排斥に発展したのである。

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