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【論説】親の介護に重なる自分の最期

※イメージ画像

 

少子高齢社会の中で、親の介護に悩む家庭が増えている。どこまで自宅でケアし、家族が犠牲になるか。それを望まない親が自ら老人ホームやホスピスケアを選択するケースも少なくない。

 

問題はそうした選択肢もない家庭である。親との関係は決して良くないが、施設に入所する金銭的な余裕がない場合、家族がギスギスした関係性のまま、日常生活を強いられることになる。

 

などと他人事のように語っている小生はまさに、そうした関係性での介護を強いられている家庭である。4年前に先立たれた母親とも決して仲睦まじくはなかった父親は、若かりし頃は典型的なDV夫であり、DV親だった。次男である小生にも「テレビを見ていた」「泣き止まない」などの理由で殴打された経験は一度や二度ではない。

 

DV被害者は 大人になると自らが加害者になると言われる。家庭内で暴力だけはふるうまいと気を付けているが、代わりに言葉の暴力を最近は日常的にふるってしまう。83歳になった父親は、注意したり約束したりしたことを全く守ろうとしない。自分のルーティンを常に最優先するから、話し合って「分かった」とその場では応じるものの、翌日には約束を破っている。それを注意すると、「そんなこと聞いてないよ」などと惚ける。ボケているなら仕方ないことだが、昔からこんな調子で、人と約束した言葉の重みよりも自分の欲望を最優先にする性分だから、尚一層のこと腹が立つ。

 

家庭内不和というのは、こうした形でストレスのツボを常態的に押され続け、苛立ちが日々増幅して修復不能になっていくものである。生前の母もそんな父にいつもストレスを感じていた。母が正看護師としての職を辞した20年前頃から、帰京の度に私は「ストレス要因でしかないなら離婚をした方がいい」と、わりと真剣に提案した。「あんな父親がいるくらいなら、片親だけの方が気が楽だし、老後も楽でありがたい」という形で、提案というよりもむしろお願いに近い言い方をしてきた。

 

しかし、一夫一婦制で添い遂げるというのが理想の妻として育った世代の母親に、離婚を決意させることは遂に叶わなかった。そうして、結婚し地方に移り住んだ兄の家族に代わって、ずっと嫌いだった父親を介護するという重荷を私が背負うことになった。

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