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【論説】「護憲=平和」とマンガで洗脳する旧世代のインテリ

※『手塚マンガで憲法九条を読む』(子どもの未来社出版)

 

近所の区立図書館に『手塚マンガで憲法九条を読む』(子どもの未来社)という書籍があり、読んでみた。

 

冒頭に憲法の前文と九条の条文が紹介され、人気シリーズだったブラック・ジャックや鉄腕アトムを含む7編の読み切り漫画が掲載されている。各編ごとに市民団体「九条の会」事務局長の小森陽一氏なる東大名誉教授が憲法の理念に引っ掛けた解説や御託を並べている。

 

戦争放棄と戦力不保持を謳った憲法第9条の改正阻止を目的に結成された「九条の会」。名前だけを聞くと、ごりごりの国内左派が作ったのかと思いきや、その原型は米国発祥である。ウィキペディアによると、B-29の元パイロットでオハイオ大学名誉教授のチャールズ・オーバービー氏が、1981年に訪れた広島平和記念資料館で、原子爆弾の悲惨さに衝撃を受け、日本国憲法第9条の理念に感銘を受けた。湾岸戦争をきっかけに1991年、米国で「第9条の会(Article 9 Society)」を創設したという。

 

彼に触発され、日本でも1993年、中部大学元副学長の勝守寛氏らを中心に地方組織が設立された。「九条の会」は、故・井上ひさし氏や故・梅原猛氏、大江健三郎氏ら9人の作家・思想家が呼びかけ人となり2004年に設立。著名な発起人の呼びかけに応じる形で、科学やスポーツ、宗教など各分野で「九条の会」を冠した団体が組織され、その数は全国で7,500にも上るという。沖縄県には本島や石垣島、宮古島などに九条の碑も建てられており、精力的な広報活動が伺える。

 

さて、冒頭の手塚作品に絡めた書籍だが、7編の漫画自体には憲法の条文について言及したものはない。破壊と憎悪しか残らない戦争や原爆の悲惨さを描いた7作品であり、イデオロギーの色彩はほとんどない。時にはロボット目線で、時には宇宙人目線で人類の愚かさを表現している。平和を望むストーリー構成自体に異論を挟む余地はあまりない。

 

ところが、そこに無理やりと言おうか、読んだ後で解説と称する小森氏の改憲阻止アジが始まる。手塚氏自身が生前、戦争の悲惨さをメディア上で度々語っていたことは承知している。また、戦後の日本が憲法第9条と日米安保を錦の御旗に防衛装備費を抑制しながらも、隣国との衝突を避けてこられた側面は否定しない。だからといって、日本側の戦争抑止しか効果のない9条が平和の礎になったかと言えば、そうではあるまい。つまり、平和を求めるマンガのストーリーを、「だから9条は護らなくちゃね」という論理にすり替えている点が、実に気持ち悪い。

 

戦争は一国の意志で行われるものではない。日本の戦後平和は9条によってではなく、日米安保という抑止力によって担保されてきたのである。第二次世界大戦後の世界は、米ソ冷戦下とはいえ、政治・経済とも米国の圧倒的ナンバーワンという時代であり、米国による平和で成り立ってきた。

 

第9条が果たしてきた役割は、隣国への「日本は自ら戦争をする国ではありませんよ」というプロパンガンダである。戦後の憲法に当初から第9条がなければ、1950年の朝鮮戦争を皮切りに日本の復興は軍需ビジネスによって高度経済成長を遂げていたかもしれない。警察予備隊はそのまま陸海空軍となり、防衛費=軍事費も今頃は少なくともGDPの5%程度を占めていた可能性は否定できない。

 

その意味で、財政的な負担軽減には役立ったかもしれないが、隣国をつけ上がらせるマイナス効果を生み、北方領土や竹島、尖閣諸島という日本固有の領土を掠め取ろうとする野心を芽生えさせてしまった。第9条がなければ、北方領土問題は戦後まもなく4島返還か、少なくとも2島返還で決着がついていたかもしれない。相手国民を本国から誘拐するという北朝鮮の大胆な拉致問題を継続的に許すような悲劇は起こらなかったかもしれない。韓国が調子に乗って竹島に上陸することもなかっただろう。中国の対日政策だって、現在のような舐められた態度ではなかっただろう。

 

一見すると、国際協調や恒久平和をもたらす理想的条文にも見える第9条だが、自ら戦力不保持を謳うことで抑止力をも放棄することになり、それが大陸国家の領土的野心を刺激する逆効果につながったのだ。今の日本が継続的に抱える問題の多くが、この第9条の矛盾によって生み出されたと言える。これはGHQ(General Headquarters、連合国最高司令官総司令部)の責任でもあるが、それによって被害を受けている我々日本人が自ら解決しなければいけない問題でもある。

 

作家や思想家は、脳内で理論を構築し、誰もが合理的に動いた結果としての理想論に辿り着きやすい。ところが、現実世界は独裁国家や専制支配が絶えることはなく、水が低きに流れるように、私たち民主主義国家も、彼らの手口に対応する処方箋を常に講じなければ現実の地政学的リスクには対応できない。

 

せめて日本人の過半数だけでも、この矛盾した現実に危機感を抱き、憲法改正に賛成しなければ、戦争は向こう側から勝手にやってくるのである。日本列島が戦場となる次の戦争は、脳内お花畑の平和ボケ知識人が招き、手遅れに気付いたとき、彼らは雲散霧消して知らんぷりを決め込むに違いない。