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【論説】新時代の監督像みせつけた新庄剛志

※会見に現れた新庄剛志新監督(本人インスタグラムより)

 

漫画の世界から飛び出したようなハチャメチャな野球パフォーマー・新庄剛志(49)が、日本ハムファイターズに監督として帰ってきた。

 

ドラフト5位で阪神に入団した新庄の名前が世間に初めて知れ渡ったのは、プロ3年目の1992年。同時期に実力が開花した亀山努とともに、右中間コンビとして連日、スポーツ紙を飾る活躍を続け、男前のルックスと陽気なキャラクターで程なく「亀新フィーバー」の主役となった。

 

一時期の引退騒動を経て、1999年6月の対巨人戦では、自身への敬遠球を安打にする奇策を成功させ、勝利を引き寄せた。2000年からはメジャーに挑戦し、メッツやジャイアンツで一時期レギュラーとして活躍。帰国後は最初にオファーしてきた日本ハムへの入団を決める。試合開始前に被り物を装着するファンサービスで地味な球団カラーを塗り替えていき、2004年から球団本拠地が北海道札幌ドームに移転すると、人気・実力ともに中心選手として活躍し、地元球団定着に多大な貢献をした。

 

圧巻は2004年7月のセ・パ球宴。三塁に進塁した新庄は、捕手から投手に返球された瞬間、本塁へ猛ダッシュする。虚を突かれた投手が球を送るも、クロスプレーで一瞬早く本塁にタッチ。球宴史上初の本盗を成功させ、球史に残る好プレーとなった。同年9月のダイエー戦では、「サヨナラ満塁本塁打」を放つものの、喜びのあまり一塁走者を追い越す形になって「アウト」となる。しかし、勝ち越しの走者はすでに帰塁したためサヨナラゲームは成立し、ゲームセット後の残塁扱いとなった。「アウト」はアウトでないが、幻の「サヨナラ満塁本塁打」は1打点しか付かないサヨナラ安打に変更となり、球史に残る珍プレーとなった。

 

型破りなプレーやパフォーマンスが球界を盛り上げ、「記録よりも記憶に残る男」という評価は往年の巨人・長嶋茂雄にも通じる。が、良くも悪くも「巨人の顔」という一面のみの長嶋とは対照的に、多くの球団を渡り歩いて、常人では真似できないパフォーマンスの数々を記録し続けた八面六臂の活躍ぶりは、間違いなく新時代のスター像を体現し続けてきたと言える。

 

11月4日の監督就任会見。札幌市の会見場に現れた新庄は、ワインレッドにチェック柄があしらわれたスリーピーススーツを着用。首には赤とゴールドのネックレス。スーツ以上に度肝を抜く特注の大きな白い襟シャツ。ホストを戯画化したような出で立ちで、サングラスを外すと「選手兼監督として契約しました」と開口一番に宣言。隣りのオーナーが慌てて「監督としてです」と否定する。

 

場の空気を掌握した「道化師」はおふざけモード全開に。翌日にスポーツ紙がいくらでも見出しに使いたくなるような語録が相次ぎ、新庄劇場が開演する。

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