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【論説】街宣車がうるさくても得票される理由

※イメージ画像

 

いつになく街に活気が戻ってきた。新規感染者数の減少によって、19日から始まった衆院選も声高に演説できる雰囲気が醸成されて、解除された緊急事態宣言と共に、人々の生活がコロナ禍前に戻ってきた感がある。

 

池袋の駅前では候補者が大きな声で支持を訴えている。コロナ禍で久しく見なかった口角泡を飛ばす舌戦にいつもなら顔をしかめる雑音の応酬も、社会の活気が少し戻ってきたようで、前向きな街の喧騒として受け止めることができる。

 

街宣車での訴えが受験勉強に勤しむ教室にも届く。選挙権を取得したばかりの生徒がポカンとしているので衆院選が始まったことを教えると、「うるさくしても、落ちないんですかね」とポツリ。

 

一瞬、何のことかと思ったが、ハタと気付いた。自分も社会に出てからずっと不思議だった疑問である。平和な市民生活を乱す拡声器の耳障りな訴え。何度も往復する候補者の街宣車に怒りを覚えたことは一度や二度ではない。今ほどイデオロギーの対立が鮮明ではなかった20年前、同じ保守系候補の街宣車が何度も同じ通りを走りながら名前の連呼ばかり繰り返した。

 

思想的には共感する政党の候補だったが、あまりのしつこさに政策など二の次となり、ライバル候補に投票した。ギリシャ時代の「陶片追放」の仕組みがあれば、街宣車で連呼し続けたその候補の被選挙権はく奪を全力で訴えたいくらい、しつこい騒音だった。

 

その後、縁あって国会議員秘書をしながらいくつかの選挙にも関わる中で、街宣車による訴えは「熱心に頑張っている」という評価こそあれ「騒音被害だ」という批判を受けたことは、選挙事務所にいてもあまりなかった。ないわけではないが、自分が想像していたほど街宣活動を否定する人々はいなかったのである。自ら拡声器で連呼してみても、「頑張って」「応援しているよ」という激励は多く受けるが、「静かにしろ」などという訴えは思ったほど多くはない。もちろん、学校や病院など、特定の施設近くは最初からコースから除外していることも、苦情が少ない理由の1つではあるが。

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