yukoku「憂国の風」

【憂国忌51年に想うこと】  玉川博己(三島由紀夫研究会代表幹事)

 三島由紀夫が楯の会第一期生とともに自衛隊に体験入隊したのが昭和43年春であったが、その母体となった民族派学生運動が発足したのは昭和41年の第一次早稲田大学紛争に遡る。60年安保闘争の後、低迷と分列の道を辿っていた左翼学生運動はやがてブント、革共同などの左翼諸党派を中心に組織の強化を図りつつあったが、それが飛躍的に拡大する端緒となったのが早稲田大学で起こった学生会館の管理権をめぐる第一次早大紛争であった。彼らは学内を暴力で制圧する方式で圧倒的優勢を誇ったが、それは良識的な学生、青年の反発を招き、やがてそこから生まれてきたのが昭和41年秋11月に誕生した日本学生同盟(日学同)であった。日学同はそれまでの戦後保守派の親米・日米安保体制堅持路線と一線を画し、、ヤルタ・ポツダム体制打破、自主防衛体制確立、自主憲法制定、失地回復の明快なスローガンを掲げて、多くの民族派青年・学生の心をつかんだのである。

 この民族派学生運動の発足を歓迎したのが三島由紀夫や林房雄などの文化人であった。それまで単独で自衛隊に体験入隊をしていた三島由紀夫は、昭和43年の春学生を連れて体験入隊を行うことを企図し、その呼びかけに応じたのが日学同をはじめとする諸大学の民族派学生であった。これが後に楯の会と命名絵されたグループの第一期生であった。

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